【衝撃】石原さとみがタレント魂を貫き創価学会のタブーを破った結果・・・

芸能

1: 2016/05/29(日) 19:17:45.31 ID:CAP_USER9
「あのCMを見ていると、まるで石原さとみとデートをしているような気持ちになれるんですよ。
朝のラッシュ時の不快な満員電車も、映像のおかげでだいぶ気持ちが楽になっています」 

30代の会社員男性はこう話す。 

現在、東京メトロ(東京地下鉄)の車内にはCM放送用のモニターが設置されている。

放送されるCMは多岐にわたるが、東京メトロの自社広告も流れる。
出演者が丸ノ内線、銀座線、有楽町線をはじめさまざまな路線の駅に降り立ち、その周辺の名物を食し、名所を訪ねるというものだ。
先日までは2013年から3年にわたり堀北真希がそんな「ぶらりメトロ旅」のイメージキャラクターを務めてきたが、今年4月からは石原さとみが出演している。 

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冒頭の男性が目を細めるのは、その石原が出演するCM第一弾。

東西線の門前仲町駅周辺を訪れた石原が、カメラ目線で話しかけるという設定で映像は展開される。 

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あるときは公園で双眼鏡を手にバードウォッチングに挑戦する石原。

また、あるときは地元に根付いた飲み屋街の立ち飲み屋で、焼き鳥や煮込みに舌つづみをうつ石原。 

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「これから仕事だという憂鬱な朝8時台に石原のCMが流れているんです。東京メトロも考えたものだなぁと思いますよ。きっとサラリーマンはみんな癒されているんじゃないですか」(同) 

●微妙な違和感 
しかし、このCMに対して微妙な違和感を口にするのが、創価学会関係者だ。

「よく知られているとおり、石原さんは創価高校の出身です。本名は創価学会の池田大作名誉会長が名付けたというまことしやかな情報も、学会関係者の間では広まっているほどです」 

その石原が出演する東京メトロのCMには、門前仲町の名物であるアサリを使った「深川めし」の名店を訪れた石原が、夢中になって口に箸を運ぶというバージョンもある。一見、なんでもないシーンのように思えるが同関係者は語る。 

「このCMを初めて観た時、一瞬『え?』と驚いてしまいました。じつはこの店、門前仲町の有名な神社の境内にあるのです。学会員のなかには、その宗教上の意味合いからも『鳥居をくぐってはならない、神社でお守りをもらってはならない』と主張する方もいらっしゃいますので、熱心な学会員の方にとっては、石原さんがこうしたCMに出演すること自体がタブー破りと映るかもしれません。石原さんは果たして、どんな気持ちでこのロケを行ったのでしょうか。しかし、映像に浮かぶ表情はとても自然なもので、変な印象を残す部分はみじんも感じられません。本当にプロの女優さんなんでしょうね。すごいと思います」 

いずれにせよ世の男性サラリーマンにしてみれば、満員電車で“ひとときの安らぎ”を与えてくれる石原のCMが長く続いてくれることを望むところだろう。 

2016.05.29 17:30 ビジネスジャーナル
http://dailynewsonline.jp/article/1137109/ 

東京メトロ【CM】Find my Tokyo.「門前仲町_漁師の活気」篇(60秒) 
https://youtu.be/tEHFKQLdm6w

石原 さとみ(いしはら さとみ、1986年12月24日 – )は、日本の女優。東京都出身。ホリプロ所属。
 
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2002年、第27回ホリプロタレントスカウトキャラバン『ピュアガール2002』グランプリ受賞を経て本格的に女優活動を始めた

同オーデション参加以前にも、現在の所属芸能事務所であるホリプロ系列の俳優養成所であるホリプロ・インプルーブメント・アカデミーに所属(5期生)し、石神 国子(いしがみ くにこ)名義で映画『ホ・ギ・ラ・ラ』『船を降りたら彼女の島』へ出演しており、芸能活動の経験がある(公式には”石原さとみ名義”で初出演した『わたしのグランパ』をもってデビュー作品としている)。

第27回ホリプロタレントスカウトキャラバン参加の時点でまだ高校1年生であり、以降しばらくは芸能活動とともに学業につとめたが、2005年3月に高校の卒業を経て以来現在は女優業に専念する。
本格的な女優活動開始後も演劇に関する学科、もしくは単位制を設置する高校には転校せず、1年次に入学した全日制普通科のみの高校をそのまま卒業している。

wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E3%81%95

宗教法人創価学会(しゅうきょうほうじんそうかがっかい)は、日本の宗教法人。現在は創価学会インタナショナル(SGI)の日本組織である。

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当初は日蓮正宗内部の宗教法人格を持たない法華講として発足、後に独自の法人格を取得し日蓮正宗の法華講と完全に分裂して現在に至る。本部は東京都新宿区信濃町。『聖教新聞』(日刊)、『創価新報』(月2回)などの機関紙や、『大白蓮華』(月刊)、『グラフSGI』(月刊)などの機関誌を発行している。公明党の最大の支持母体であるとともに、「自公連立政権」下においては自由民主党の間接的な支持母体としても機能する。

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1930年(昭和5年)11月18日に、小学校の校長だった牧口常三郎と、戸田城聖ら当時の教育者などが集い、法華教系の在家仏教団体の『創価教育学会』を創立した。日蓮の仏法精神に基づく教育の実践(教育者の育成)を目的とする団体であったこの組織が創価学会の前身となる。戦時中は弾圧を受け、1943年6月に牧口、戸田を含む幹部が治安維持法並びに不敬罪で逮捕され、牧口は獄死。

1945年7月、出獄した戸田は、組織名を創価学会に改め組織を整備、1952年、宗教法人の認証を得る。戦後の創価学会は戸田の手腕で急拡大するが、75万世帯を目標にした「折伏大行進」運動の過程で、強引な勧誘は後述のような社会問題も引き起こした。

1960年、周囲の大反対を押し切り池田大作が会長に就任、その後池田の会長就任に反対する勢力の離脱で一時期学会の勢いが衰えるが1964年には創価学会内に「公明政治連盟(その後、公明党と改名)」を創設し、政治にも関与し始める。

本来、創価学会は宗教団体ではなく、日蓮正宗の講(信徒団体)のひとつであった。池田は日蓮正宗総本山大石寺より、信徒のトップである法華講総講頭に選任されていた。しかし創価学会と日蓮正宗との間で次第に教義上の対立が激しくなり、1991年11月、創価学会は日蓮正宗から破門されて「宗門」と「信徒団体」という関係は消滅した。

教義的には日蓮を末法時代の本仏と定め、南無妙法蓮華経の唱題を実践し、日蓮の出世の本懐であるとされる一閻浮提総与の大御本尊を掲げ、「法華経」思想の布教を宣言(広宣流布)し、仏教思想に基づく平和的な社会の実現を目標とするとしている。

wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%e5%89%b5%e4%be%a1%e5%ad%a6%e4%bc%9a

 

 

 

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