すぐに着替えて帰るそうです。
だけど、この日は少し様子が違いました。
たけしさんが楽屋に帰る途中の廊下に
ジッと立っています。
それを見つけたお弟子さん
「殿、何してるんですか?
早く帰りましょうよ。」
そうたけしさんに促すと「待て!」と
お弟子さんを制止しました。
たけしさんの視線の先には
何か気になるものがあったようです。
たけしさんの目の色をうかがうと
何だか厳しさと優しさが
混在してるように見えました。
たけしさんの歩みを止めたもの
その廊下の先にはよく見ると
まだ名前も売れてないような若手コンビが
一生懸命ネタ合わせをしていたそうです。
たけしさんはこう言いました。
「俺が通ると練習を中断して
挨拶しなきゃなんない。
あのネタが終わるまで待て。」
そこにたけしさんが見たものは
かつての自分だったのかもしれません。
とてつもない器の大きさを感じます。
世界的にどんなに知名度があっても
自己中心的にならず
むしろがんばっている人を第一に考える。
だからこそ
多くの人に慕われるんでしょうね^^
引用元:http://iinee-news.com/post-3849/
そんなビートたけしさんにまつわる名言やエピソードは
数多く残されており、有名なものも多いです。
そんな数多くある名言の中でも、とってもキレのある素晴らしいものを
いくつかご紹介したいと思います。
続きはこちら↓↓
あいつ、裏切った、裏切ったって心の中に毒持って生きてくより、相手にいいことしてやったっていう感覚でいるほうがいいんだ。だって、裏切りなんてこれからもじゃんじゃんあるんだから。それをいちいち自分の問題にして抱え込んでたら大変なことになっちゃうもん
引用元: http://meigen.keiziban-jp.com/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%9F%E3%81%91%E3%81%97
努力ってのは宝くじみたいなものだよ。買っても当たるかどうかはわからないけど、買わなきゃ当たらない
引用元: http://meigen.keiziban-jp.com/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%9F%E3%81%91%E3%81%97
勉強するから、何をしたいか分かる。勉強しないから、何をしたいか分からない。
引用元: https://curazy.com/archives/81298
変な言い方だけど、自分のために死んでくれる人間が何人いるよりも、そいつのためなら命をかけられるって友達が1人でもいる方が、人間としては幸せだと思う。
引用元: http://systemincome.com/tag/%E5%8C%97%E9%87%8E%E6%AD%A6
若いのが作法を学ばないのは、手本になる大人がいないからだ。少なくとも男にとっての作法は、ある種の憧れだったり、「あのときのあの人は格好良かったな」という記憶だ。身近にそんな人がいたら、強制なんかされなくたって真似したくなる。鮨の食い方にしても、酒の飲み方にしても、昔はそうやって格好いい大人の真似をして覚えたものだ。そう考えると、年寄りが「いまの若いのは作法がなってない」と言うのは、天にツバするのと同じことかもしれない
引用元: http://matome.naver.jp/odai/2134708644781378901
昔から「運も実力のうち」なんて言葉があるとおり、おいらも所詮人間の成功なんて運があるかどうかに尽きると思ってる。
引用元: https://curazy.com/archives/81298
たけしさんの名言の続きはこちらから↓↓
出典:amd.c.yimg.jp
おそらく脳には、節電モードみたいなものがついていて、ちょっと慣れてくると、すぐに楽をしようとする。絵でいうなら、描き慣れるということがある。たとえば、ゴリラの絵を描くとする。初めてだから上手く描けないんだけど、絵としては悪くない。ところが、調子に乗って同じゴリラの絵を何枚も描いていると、だんだん手が慣れてきて、すらすら描けるようになる。そうなると、絵としてはつまらない。描き慣れた絵は、見てもあんまり感動しない。
引用元: http://systemincome.com/tag/%E5%8C%97%E9%87%8E%E6%AD%A6
スポーツ新聞に「たけし、再起不能か?」なんて書かれた、あの原付バイクの事故からもう12年の歳月が過ぎている。あの事故を境にして、生きていることに、あまり興味がなくなった。あの事故でわかったことは、運命なんてものは、自分でどうにか動かせるものじゃないということ。どんな運命が待っていようと、それをそのまま受け入れるしかない。
引用元: http://matome.naver.jp/odai/2134708644781378901
我々みたいのが天才のふりをするためには、捨てなきゃいけないものが一杯あるんだよね
自分を客観的に眺めて、生きていることを演出するとしたら、一番の理想は、いい映画を撮れたときに死ぬことだ。しかし、映画っていうものは完成した瞬間に、気に入らないところが次々に見えてくる。自分の映画に、満足することはない。満足するようじゃ映画監督なんて続けられない。だから俺も、生きることに興味がないなんて言いながら、いざ死神があらわれたら、こう言ってしまいそうな気がする。「あと1本だけ映画撮らせてくれねぇか」人間、歳を取るとずうずうしくなる。