江戸時代の死刑(処刑)制度

江戸時代には死罪や磔などの処刑は一般の人々に公開されたため、
大勢の見物人が見届けていました。

当時はこうしたものを見ることも
一種の娯楽のようなものだったのかも知れません。

牛裂き

罪人の両手、両足と、2頭または4頭のウシの角とを縄でつないだのち、
ウシに負わせた柴に火を点け、
暴れるウシを2方または4方に走らせて罪人の身体を引き裂き、
死に至らしめる処刑法。

鋸挽き

鋸挽き(のこぎりびき)は死刑の一で、罪人の体を鋸で挽く刑罰。

罪人を首だけ出して土に埋め、希望者に鋸で首を挽かせた。

後年には形式化し、実際に鋸で首を挽くことはなくなり、
晒した後は市中引き回しをした上で磔とした。

穴吊り

キリシタンたちに加えられた責め苦のうち
穴吊りは最も残酷な方法でした。

吊す際、体をぐるぐる巻きにして内臓が下がらないようにする。
すると頭に血が集まるのでこめかみに小さな穴をあけ、血を抜くなど
そう簡単に死なないようにし、さらに穴の中に汚物を入れ、
地上で騒がしい音を立て精神を苛んだ。

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斬首刑

死刑囚の首を撥ね、死刑執行後の死刑囚の遺体は
将軍家や大名家の所有する名刀の試し斬りの道具になりました。

火炙刑

竹・茅・薪等を積み上げた柱に縛りつけた罪人に火をつけ焼き殺す系で
放火犯に対して公開で執行された。

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釜茹で

釜茹で(かまゆで)とは大きな釜で熱せられた湯や油を用い、
罪人を茹でることで死に至らしめる死刑の方法である。

京都で処刑された五右衛門の処刑方法は
地獄における刑罰の再現ともいえる。

磔刑

柱に体を縛りつけた罪人を2人の執行人が左右から
20〜30本ぐらいのやりで突き刺し、
最後に喉に左からトドメの槍を突いた。

遺体はそのまま3日2夜晒された。

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鼻そぎ

鼻そぎは人間の鼻を削ぐ行為を指します。

目的としては刑罰として科す場合と
戦において討ち取った首の代わりとして切り取る場合の二通りがあります。

獄門

江戸時代に庶民に科されていた6種類の死刑の一つで
斬首刑の後、死体を試し斬りにし、
刎ねた首を台に載せて3日間(2晩)見せしめとして
晒しものにする公開処刑の刑罰。

首を晒す台を獄門台といい、
高さ6尺(下部を土に埋めるので実際には4尺 (1.2m))の台に
五寸釘を二本下から打ち、ここに首を差し込んで周りを粘土で固める。

夜は首が盗まれたり野犬の類が持っていかないよう桶を被せ、
非人数名が火を焚いて寝ずの番をした。
獄門台の横には罪状を書いた捨札(すてふだ)が立てられた。

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石子詰

地面に穴を掘り、首から上だけ地上に出るように
人を生きたまま入れ、その周囲に多くの小石を入れ、圧殺したもの。

刑罰としては越後国上杉家で行なわれた。

「俚諺集覧」に、「小石にて人を生きながら埋める刑なり、
中古辺土にて往々ありしことなり」とある。
江戸時代、寛永5年(1628年)、奈良の春日社の狛犬を盗んだ山伏を
飯合川で石子詰めにした記録がある。
春日野のシカ殺しの犯人は興福寺で石子詰めにされたという。

江戸時代には資材や磔などの処刑は一般の人々に公開されたため、
大勢の見物人が見届けていました。

現代的な感覚ではとても見られるものではありませんが
当時はこうしたものを見ることも
一種の娯楽のようなものだったのかもしれません。

ネットでの反応

・高度な教育と厳しい刑罰があったから江戸時代の平穏は保たれた面がある。

・これだけの極刑がありながらも、犯罪を犯す人が居たことには驚きが隠せない

・穴吊りはきつすぎる

・江戸時代の治安はとても良かったときくが
斬首刑は比較的武士の情けを感じる…