坂本竜馬は好きな偉人を聞かれると
1,2位を争う有名人です。
そんな偉人の人生観が勉強になる
そんなエピソードをご紹介!
坂本 龍馬(さかもと りょうま、天保6年11月15日〈新暦・1836年1月3日〉 – 慶応3年11月15日〈新暦・1867年12月10日〉)は、江戸時代末期の志士、土佐藩郷士。諱は直陰(なおかげ)、のちに直柔(なおなり)。通称は龍馬。 他に才谷 梅太郎(さいたに うめたろう、さいだに うめたろう)などの変名がある (手紙と変名の項を参照)。土佐藩郷士(下級武士)坂本家に父・八平、母・幸の間の二男。兄(権平)と3人の姉(千鶴、栄、乙女)がいた。質屋、酒造業、呉服商を営む豪商才谷屋の分家という裕福な商家に生まれ、脱藩した後は志士として活動し、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中(後の海援隊)を結成した。薩長同盟の成立に尽力するなど倒幕および明治維新に関与した。大政奉還成立の1ヶ月後に近江屋事件で暗殺された。1891年(明治24年)4月8日、正四位を追贈される。
引用元:wikipedia
坂本龍馬には、
こんな逸話が残っています。
当時、土佐藩では
長刀が流行していましたが、
龍馬は短刀。
「なぜ短刀なのか?」
と友人が聞くと、
「実戦では短い刀のほうが
取り回しがよいから」
と龍馬は答えました。
友人はさっそく短刀を差し、
龍馬に会いに行くと、
彼は懐から拳銃を出し、、
続きはこちら↓↓
「銃の前には刀なんて役に立たない」
と言いました。
納得した友人は拳銃を買い求め、
再び彼に会ったところ、
龍馬は何と言ったか?
万国公法(国際法)の
洋書を取り出し
「これからは
世界を知らなければならない」
龍馬はまず土佐藩藩士をやめ、
自分を縛っていたものから
脱け出しました。
そして、
日本初の株式会社となる
亀山社中・海援隊を結成し、
貿易をはじめます。
「鎖国」という枠の中で
暮らしていた時代に、
龍馬は自由の身になり、
異国の智恵を取り入れたのです。
続きはこちら↓↓
龍馬は視野が違った。
見えている風景が
圧倒的に違ったのです。
だから世の中の流れが見えた。
流れが見えた人だけが
革命を起こせます。
さて、古い自分を倒すためには
どうするか?
それは「出会う」ことです。
「こんなふうに
生きている人がいるのだ」
「こんな考えがあるのだ」
と、自分の常識を蹴飛ばしてくれる
異邦人と出会うことです。
それが自分維新の鍵を
握っています。
異邦人は教えてくれます。
自分はこんなに狭い
価値観に縛られていたのかと。
そこに気づくこと。
いつだって、
革命はそこからはじまります。
「命」を「革(あらた)にする」
と書いて「革命」です。
引用元:https://www.facebook.com/Newsgossipu/