サンサーラ速報❗️

【泣ける話】中学生の時に事故で両親を亡くし、祖母に育ててもらった私。就職して祖母に楽をしてもらえると思っていたが、闘病生活後に亡くなってしまった。結婚後、私は軽い鬱に…あの時義母が来てくれなかったら、子供は生まれていなかったと思う。

 

私は、両親を事故で中学生の頃亡くしました。

その後は、祖母に育ててもらいました。

 

祖母は、公務員としてずっと働いていておりました。

退職後は年金暮らしで決して裕福ではありませんでしたが、

私は幸せだったと思います。

(祖父は私が生まれる前に亡くなっています)

 

高校卒業後は、祖母の女学校時代の友人の

現在の義祖母の紹介で義両親の会社に、就職しました

これで祖母にも楽をしてもらえると思っていた矢先、

祖母が病気になってしまったのです。

 

結局、半年ほどの闘病生活の後亡くなりました。

お葬式の手配などは、呆然としている私に代わり、

義祖母や義両親が取り計らってくれました。

 

お葬式後に祖母の兄弟の子供だと言う人が来て、

ここはうちの地所だから早く出て行って欲しいと言われました。

 

保証人となる人のいない私に義祖母の持ち物のアパートに

入居させてくれました。

その上、一人のご飯はまずいからと

義両親の家で夕食を食べるように誘ってもらい、

その上、お昼のお弁当まで作ってもらっていました。

 

姑は「ジジババ3人で顔突き合わせて食事してるよりも

○子ちゃんがいると食卓が明るいわ~」

「でも彼氏が出来たら遠慮なく言ってね!彼氏優先してね!」

と言っていました。

 

 

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そんな時、一人っ子で長男の現在の旦那が4年ぶりに

東京より帰省してきました。

実家である関西に転勤になるとのことでした。

 

当時、旦那は結婚しており、特に何の感情もありませんでした。

義両親の会社を継ぐ気も無く、義両親も無理矢理継がしても…と、

いざとなれば廃業すればいいんだと笑っているくらいでした。

 

旦那が、関西に転勤になり1年が経過したころでしょうか。

旦那の元嫁が、関西は嫌だと突然東京に帰り、その後離婚が成立しました。

離婚のゴタゴタの時や、離婚後に旦那は実家でよく

食事をするようになりました。

 

 

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その頃、取ろうとしていた資格を旦那が持っていたこともあり、

食事の後などに試験問題などを教えてもらったりするようになりました。

なんとなく、映画等に一緒に行くようになったのもこの頃です。

 

デートを重ねるようになり、プロポーズされました。

結婚をしようと思っていると伝えた時に義祖母・義両親ともに祝福の前に

「うちの息子に○子はもったいない。だいたいバツイチ男でいいのか?」と

本気で聞かれました。

 

結婚して義実家の近くのマンションに引っ越しましたが、

義両親の会社に勤め、旦那の仕事が忙しいこともあり、

週に2~3回は義実家で食事をしていました。

 

 

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ところが、急に旦那の転勤が決まり私もついて行くことになりました。

転勤は、仙台で関西から出た事のない私は、知り合いも居なく、

旦那の仕事は忙しいし、またよくお酒を飲むこともあり午前様も多く、

心細い日々を送っていました。

仙台の寒い冬や雪を見ているうちに私は、

おそらく軽い鬱になっていたのだと思います。

 

ある晩、20時ごろだったでしょうか。

義母より電話があった時に旦那が帰ってこないし、

寂しいと泣いてしまいました。

 

その晩も旦那は午前様で酔っ払って帰宅し、

義母から電話があったことを伝えることも出来ませんでした。

 

 

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次の朝、6時過ぎにに玄関のチャイムが鳴りました。

こんな朝になんだろう?と思いドアを開けるとそこに義母がいました!

 

そして半分寝ぼけて、朝食を食べていた旦那に向かって

「慣れない土地で嫁が心細いのにお前が支えてやらないでどうする!」

「あんなにこっちに来る前に言ったのに、前の嫁の二の舞か!」

「○子は、帰る実家がないんだから、

前の嫁さんより大変だっていっただろうが!」

 

「○子も、こんなになる前になんでもっと早く電話して来ない!」

と怒鳴り「さ、○子支度し、大阪の家に帰るで。

お父さんもお婆ちゃんも待ってるし、アホ息子はほっとき!」

 

 

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聞けば、前の晩の電話を切った後に新幹線に飛び乗って、

東京から夜行バスで来てくれたそうです。

涙が止まりませんでした。

 

義母に連れられて、大阪の義実家に戻った時は、

義祖母や義父を見てまた涙が止まらなくなってしまいました。

 

私が、あまりに痩せているのを心配して

近所の医者に連れて行かれたのですが、そこで私の妊娠がわかりました。

 

恥ずかしいのですが、生活が変わったことなどで

自分自身まるっきり気がついていませんでした。

 

 

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義両親も義祖母も大喜びをしてくれましたが、

こんな状態で仙台の旦那のところで戻せない。

心配だと言われ、つわりもあった事などで

義実家でしばらく過ごすことに。

 

その間に旦那が戻って話し合いをしたりしていました。

旦那は、両親に大変怒られていて、こちらが申し訳ないくらいでした。

 

あまり私の味方をする両親や祖母に向かって

「ここは俺の家で、○子の実家じゃないのに」と拗ねた旦那に、

義両親は「大学に入ったまま、連絡もしてこない。

帰って来ない息子より、一緒にご飯を食べてくれて母の日や父の日、

敬老の日、私たちの誕生日を忘れないで祝ってくれる

○子の方が子供のようだ。

おまけに今度は孫まで出来る。どっちが可愛いか考えてみなさい。」

 

 

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もう、ありがたいとか通り越して…

多分あの2~3ヶ月で一生分の涙を流したと思います。

 

旦那は、色々思うところがあったのか会社を辞め、

実家の会社を継ぎたいと言い出しました。

けれど、義両親はうちの会社を継ぎたいと思うなら、

まず同業の会社で最低3年は、一から修行をと。

 

30を越えてからの転職で旦那も大変だったと思いますが、

文句も言わずに会社に行き、今は実家の会社を手伝っています。

 

そして始めての妊娠出産の時、義母も義祖母も

「時代が違うから、育児方法も違うし」と、

一緒に母親教室や検診に付き添ってくれ、

大変心強く安心して出産できました。

 

 

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もしも、あの時義母が来てくれなかったら、

子供は生まれていなかったと今でも思います。

 

○子に介護なんてさせられないわ~。と言ってるお義母さん。

本当に必要になったら、私は介護したいと思っています。

私のお義母さんは、世界一のお義母さんです。

 

 

●コメント

最近になって思うんだが、マゴについて

「時代が違うから、育児方法も違うし」

ということを言えるのは幸せな子供を持った人なんじゃないかと。

 

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引用元 : http://oni.staba.jp/?p=39503