母が亡くなった。
あったかどうかも分からない
葬儀には当然参列もしなかった。
小さい時に別れてから一度も会っていないので、
どんな顔になってるのかも知らない。
知りたくもないけど。
小学校の1年生の時に両親が離婚して、
私は父に引き取られ、
2つ年上の兄は母に引き取られた。
両親は元々同じ中高に
通っていた同級生同士だったらしく、
離婚後それぞれの実家に
戻ったので親が離婚したのに
子供は同じ小学校に通って、
別々の家に帰るという歪な生活になった。
その祖母はとても厳しい人で、
お箸の持ち方が悪かったりすると
手をピシッとすぐ叩かれた。
学校からは真っ直ぐ帰れってしつこくて、
遊びに行くのはちゃんとランドセルを
置いてからって言うし、子供でも
洗濯物を畳んだり、お茶碗を拭いたり、
そういうお手伝いをちゃんとやれって言う人だった。
“働かざる者食うべからず”の人。
父が休日になると公園に連れて行ってくれて、
祖母がお弁当を作ってくれるのは嬉しかったけど。
でもやっぱり、引き取られるなら
母の方が良かったなぁって思ってた。
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母の実家は大きな家でお金持ちだったから、
お兄ちゃんはいいなぁって思ってた。
ある日、学校の帰りに友達に誘われて
つい寄り道をしてしまい、
その事で祖母にひどく叱られた。
それで母にすごく会いたくなった。
父の実家と母の実家は、
同じ校区の逆方向の端と端って
感じだったから3~4キロあったと思う。
それをテクテクテクテク歩いて行った。
やっと母の実家に辿りついて、
母に抱きしめて貰う自分を
想像しながら玄関に飛び込んだ。
「おかあさん!私子だよ!きたよ!」
そしたら母と母方祖母が出て来て、
母の第一声が
「何しに来たの」
って。。。
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「会いたかったん・・・」
って言ったら
「あんたは要らないから
置いてきたのに、なに来てんのよ」
って言われたんだ。
「あんた見てるとお父さん
思い出してイライラするのよ」
って。(私は父に激似らしい)
期待とあまりにも
かけ離れすぎてて、私爆泣き。
母方祖母がおろおろしながら
「お父さん呼ぶから待ってなさい」
って部屋に入れてくれたけど
母は奥に行って出てこなかった。
交代するように兄が来て、
ずっと手を繋いでくれてた。
しばらく泣いてたけど、ふと気が
付くと兄が声も出さずに泣いてた。
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そんなふうに兄が泣くのは初めて
だったからビックリして涙が止まった。
学校じゃ気が付かなかったけど、
兄も色々辛かったのかなと思った。
ずいぶん経ってから父が迎えにきたんだけど、
その時兄が
「僕も一緒に帰りたい」
私が
「おばあちゃん怖いよ?」
って言ったら、
それでも一緒に帰りたいって言って、
その後どういう話し合いがあったのか
分からないけど、兄も一緒に暮らすようになった。
父の実家に戻ったとき、祖母が
私の顔中を撫でまわして泣きながら謝った。
祖母が言うには、
嫁の実家に対して変な競争心を持ってたらしい。
孫を立派に育てなきゃならん!みたいな。
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と言うのも、元々両親の結婚には
母方の親からは大反対されたらしいんだね。
父は母子家庭だったから。
結婚する時も結婚したあとも、
母の両親からは小馬鹿にされるような
蔑まれるような発言が
幾度となくあったらしく離婚するって
聞いた時、絶対この子を立派に育てる!って
思うあまり孫の気持ちを
考えてなかったと反省したようだ。
(この辺りの細かい心情は、
後に高校生になった頃に聞いた)
祖母も何か吹っ切れたらしく、
兄妹も揃って賑やかになって
父は相変わらず忙しかったけど、
休みの日には今まで以上に
たくさん遊んでくれて兄も明るくなった。
色々あったけど、平和な生活になった。
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それから何十年も経って、
私も兄も結婚して子供もいる。
不惑の年はとうに過ぎた。
祖母も父も亡くなった。
父は結局再婚はしなかった。
一昨年の事。
女性がふたり訪ねてきた。
自分たちはあなたの妹です、と言ったらしい。
そして生活を援助してくれと言うのが用件。
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母の再婚相手は、
別の女性と姿をくらましたそうだ。
母と娘ふたり、母の両親の財産を
食いつぶしながら生活していたけど
それも底を尽きかけてる。
いいから面倒見ろということだ。
あなたたちは私たちと同じ母の
母の面倒を見る義務があると。
月々5万ずつどうにかしてほしいと。
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後に兄嫁に聞いたら、
今まで見たこともない
恐ろしい様子だったらしくて
兄にそんな一面があったなんて
ビックリしたと言っていた。
その兄の剣幕にビックリして
震えながら帰ったそうだけど、
その後一度も連絡を取ってくることは
なかったが
今年の始めに、
その母が他界したと
連絡を寄越してきた。
兄が喪主になって葬儀を出せと
姉妹の姉の方が言ってきた。
喪主になると言うことは、
遺産相続に口を出すことになるが
それでもいいのかと
言い返したら音信不通になった。
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最初に訪ねて来た時に、
兄は後々の為にと母の資産状況は調べたらしい。
生活には確かに困っていたが、
住んでる土地建物は残っていたらしい。
結局葬儀をしたのかどうかも分からないまま。
冷たいようだけど、
兄にも私にも母はもう赤の他人だった。
妹と言われても全く実感がない。
もちろん妹に対しては何の恨みもないけど、
頼ってくるようなことはやめてくれと思ってしまう。
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少し前に、兄とふたりで父の墓参りを
したあと飲みに行ったんだけど
その時にずっと聞けなかったことを聞いてみた。
母に引き取られていた間、どんな暮らしだったのか。
母と祖父母は一日中喧嘩ばかりしてたそうだ。
母は今で言うネグレクト状態で、
祖父母は兄を厄介者という扱いだったらしい。
反対したのに勝手に結婚して勝手に離婚して
勝手に孫なんか連れて戻って来てって。
離婚する前は、母方の実家に
帰省すれば孫として可愛がって
くれてたのにまるで別人のようだったそうだ。
だからどこにも居場所がなくて、
父に引き取られた私が羨ましかったって。
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ああ、あの時の兄の涙には
そんな思いがあったのか。
母にとって父って
どういう存在だったんだろう。
親の反対を押し切ってまで結婚したのに、
その父との間に生まれた子供を
どうしてそこまで疎むことができたのか。
父は夫としてはダメ人間だったんだろうか。
でも私たちにとっては
父は穏やかで頼りがいのある父だった。
だからと言って、母が生きてるうちに
聞いておきたかったとも思わない。
自分の子供たちには絶対こんな
思いはさせたくないと改めてそう思った。
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しつこくて、遊びに行くのは
ちゃんとランドセルを置いてからって言うし
>子供でも洗濯物を畳んだり、
お茶碗を拭いたり、そういうお手伝いを
ちゃんとやれって言う人だった。
気負った部分はあるのかもしれないけど、
こういう当たり前のことを
きっちり教えてくれるのは、
甘やかし系の祖父母も多いのに
すごいなって思う。
孫の気持ちを考えてなかったって
泣きながら反省してるぐらいだから、
躾方が厳しかったんだろうなと思った。
ヤヌスの鏡の初井言榮さんのイメージで読んだわw
兄と離れたことなど、心のフォローが
必要な時だったんだろうし。
でも今の幸せは祖母さんのおかげなんだろうね。
引用元:http://blog.livedoor.jp/matorain/archives/21355520.html