俺の高校時代の担任は鬼のような教師だった。 体罰なんて生易しいものじゃなく暴カに近いことまでやってきた教師。 今日はなんとなくその時の思い出をつらつらと書き綴っていこうと思う。
入学初日。 俺は、いっちゃ悪いが身だしなみとかをあまり気にしないタイプで 髪を半年くらい切らずに放置していたためロンゲのようになったまま入学式を迎えた。
親が居るのに職員室に連れて行かれバリカンで有無を言わさず坊主にさせられた。
2日目。 いきなり、志望校を聞かれる。 席が一番前だった俺は最初に答える。 「○○大学志望です(偏差値60くらい)」
ぶん殴られる。
「俺のクラスにはトップを目指すやつ以外いらん!東大目指せ!!東大!!」
理不尽すぎる・・・。
3日目。 いきなり抜き打ちテストをさせられる。(放課後に) 最高得点者が70点で一人。 その次が50点くらいで2人くらい居た。 そいつらだけが帰ってよかった。 それ以外のやつは夜の9時まで学校で居残りだった。
3日目から学校をやめたいというやつが続出していた。
時間軸がバラバラになるかもしれんが気にしないでくれ。
冬の日の朝、遅刻した。 バスと電車が雪のためにストップしていたからだ。 遅延証明書をもらって先生に持っていった。 ぶん殴られた。 「関係ない」の一言だった。
初めての中間テストが行われた。 大学入試問題だった。(もちろん範囲上は解ける問題だったが) それ1問のみ。 部分点無し。 100点or0点。 0点のやつは次の週の土日から補講だった。 土日ともに3回ずつテストを行う。 満点を取るまでテストは繰り返される。 朝8時に学校に出てきて、満点取れないやつは夜8時まで残らされた。 それが1学期中ずっと続いた。 部活はできなかった。
文化祭の日。 うちのクラスは環境問題についてポスターにして教室に掲示していた。 それだけだった。 クラスの半数は文化祭を堪能できなかった。
例の週末テストは文化祭の日も関係なく行われていた。
毎日出される課題。 寝る時間を惜しんでやる。 授業中につい眠くなりウトウトしていた俺。 教室に置かれていた辞書の角で殴られる。 頭から血が出た。
素晴らしい先生じゃないか。 それぐらい強制させないとやらないからな。 んで3年になって授業がわかりにくいとか騒ぎ出す。
2年目の2学期のある日。
この時すでに5人の生徒が自主退学した。
もう無理だと思った。
しかし、勉強は確かにできるようになっていた。
河合の模試でも阪大A判定を出せるようになっていた。
クラスの成績上位者の仲間と話し合った。
もう数学の範囲はほとんど終わっていた。
「授業をボイコットして自分たちで勉強しよう」
俺たちは担任にボイコット宣言をした。
その宣言はあっさり承諾された。 その日から俺たちは授業に出なくなった。 担任は俺たちを出席扱いにしてくれた。 数学の時間は別の教室で自習をした。 テストも受けなかった。 クラスの平均点が俺たちの点数になっていた。 心配された成績簿には何故か5がついていた。
異変に気づいたのは3年になってから。
クラスの上位者だった俺たちが郊外模試で今まで勝っていた生徒に負け始めた。
特に数学の落ちはひどかった。
70超えていた偏差値はあっという間に60を切るようになった。
数学Ⅲはさっぱりだった。
仲間の内から一人、また一人と先生に謝り授業に戻るやつが出てきた。
俺は絶対に戻らないと決めた。
ついに一人になった。 俺は黙々と勉強した。 最初の日志望校を言ってぶん殴られた日。 その後「僕も東大目指します」と言った後に言われた一言「お前には無理」の言葉。 絶対にこいつをあっと言わせてやりたいと思った。
俺の家は貧乏で予備校に通わせてもらえなかった。 友人の参考書を借り、 わからない部分は友人に聞きなんとか理解しようとした。 バスの移動時間も電車の移動時間も全て勉強だった。 朝起きて夜寝るまで 夢に出るくらい勉強した。
ネックはやはり数学だった。 数学だけが特別に悪かった。
時間なんてあっという間にすぎる。 3年の2学期になった。 防衛大学の受験がせまる。 滑り止めで一応受けておくつもりだった。 数学がいくら悪くても恐らく余裕で受かる位置だった。 受験2週間前くらいに 休日家で勉強しているときに担任が突然俺の家にやってきた。
持ってきたのはプリントだった。 ただ一言。 「今から俺が作ったテストをやってみせろ」 妙な威圧感があった。 普段会話してなかったせいなのか、突然家にやってきて恐怖を感じたのか・・・。 俺は素直にそれに従った。
隣に先生を立たせたままテストは始まった。 今思えばあのテスト内容は 東大、早稲田、慶応クラスの入試問題だったと思う。 解けなかった。 4問あって1問しか完答できなかった。 「明日から毎日放課後補講に来い」 それだけ言って担任は帰っていった。 悔しくて泣いた。 あれだけ勉強したのに仇の前でテストができなかったのが悔しかった。
次の日担任のもとに行く。 「補講受けたくありません」 「お前、このままじゃ落ちるぞ」 「自分の実力で受かります。先生の力は借りません」 「使えるものは使え。落ちたら負け犬だ。お前はまだ負け犬だ。負け犬!」 「・・・何が言いたいんですか?」 「犬が体裁なんか取り繕うなよ。嫌いなやつでもなんでも食らいついて、そうしていったやつだけが難関校に受かるんだ!」
そう言った旨のことを言われた。 正論だとは思うが、俺には納得できなかった。 半ば無理やり補講に出させられ、問題を解かされた。
ひたすら問題を解いて、採点され 「何でこんな問題も解けないんだ?お前馬鹿か?本当に勉強してるのか??さっさとやり直せ」 と悪態をつかれ問題を解きなおす。 終わると課題を出され解いて次の日持って行き 同じことを言われる。 防衛大学入試当日まで続いた。
勉強の成果なのか問題が簡単だったのか、 防衛大学の入試はほぼ満点を取ることができたと思う。
入試が終わっても補講は続いた。 12月に入った。 そろそろセンター対策に切り替えたかった俺は担任に 「センター対策をしたいんで補講をやめてもらえませんか?」と言った。 却下された。 「お前は俺の言うとおりしろ」 それだけ言われ、センターに出ることの無い数学Ⅲをひたすら解かされた。 だんだん嫌になってきた。
俺は親に担任の補講を受けたくないと言った。 親は心配し担任に会いに行くことになった。 俺は席を外せと言われた。 戻ってきた親は 「担任の言うとおりに頑張ってみなさい」 見事に説得されていた・・・。
いつまで続くんだろう・・・。 こんなことを俺は思っていた。
冬休みに入った。 3年は他の授業の補講もなく普通なら冬休みだ。 俺は違った。 毎日担任に呼び出された。
本当にいつまで続くのだろう。
もう嫌だと言うと殴られた。 問題が解けずに突っ伏したら蹴られた。 課題が終わらずに次の日提出できなかったら罵倒された。
クリスマスイブもクリスマスも俺は学校に居た。
大晦日の日・・・俺は学校に居た。
熱が出た日もあった。 学校に電話し行けないと言った。 「40度無かったら学校に出て来い」と言われた。 俺は風邪の身体のまま学校でテストを受けていた。
俺の学校は3年の3学期はもはや学校に来る来ないは半分自由みたいなものだった。 センター試験の2週間前。 「着替えと金を持って来い」 そう言われた。
その日から10日間センター対策の合宿だった。
家に帰れるのは3日に1回だけだった。 朝6時に起きてから夜10時くらいまで勉強した。
6日目の時だった。 センター対策の試験問題で国語と社会系以外全教科満点を取った。
その日にセンター対策は終わった。 残りの合宿は数学以外の2次対策をひたすらやらされた。
専門でない科目なのに、専門の先生よりも教え方が上手かったのは少しだけ尊敬した。
合宿が終わった。 「よく頑張ったな」 初めて褒められた。
「センター頑張れよ」 初めて激励された。
センター試験まで残りの期日、ひたすら自分で復習して試験へ臨んだ。
緊張した。
不安だった。
試験を全日程終えた。
会場の外に担任が待っていた。
家に帰る前に担任の車で学校に連れて行かれた。
長渕つよしの曲が流れていた。
自己採点を始めた。 自信のある教科から始めた。
物理・・・満点 化学・・・満点 英語・・・リスニングで2問、ライティングで1問ミス(だったと思う) 国語・・・奇跡の満点 社会・・・70点くらい(あんまりやりこんでなかった)
数学・・・満点
褒められると思った。 「理系科目全部満点でした!」満面の笑顔で担任の元に行った。
「これくらいできて当然だ。これくらいで喜ぶな!!」 一言も褒められずに怒られた。
しょんぼりして帰る俺に一言だけ 「とりあえずお疲れ。今日はゆっくり休め。」 とだけ言ってくれた。 心身ともに疲れていた俺は家に帰ると同時に飯も食わずに寝た。
やっぱ後少しなんで続ける。 省略しつつ一気に終わらせるわ。
センター試験が終わってからも気が休まる瞬間なんて来なかった。 ここからはとにかく質より量と言った感じ。 毎日、入試問題の過去問または予想問題を解かされ それの解答を行う日々。 東大の赤本は学校に置いてあったものを10年間分くらいやった。
東大の二次対策の問題も各出版社やりまくった。
英語と国語が伸び悩んだ。 今まで理系科目7に対し文系科目3(の内英語が2,5くらい)くらいの割合でやっていた。 さすがにヤバイと思い 文系科目をもっと勉強したいと直訴した。
「文系は捨てろ」 そう言われた。
担任の持論は 「東大の理系は理系科目を満点とれば文系科目0点でも受かる」 というものだった。 無論、現段階でも英語4割、国語3~4割くらいは取れる感じだったから 理系科目で8割くらい取れば傾斜配点から言っても受かる目論見だった。
数学8割・・・それは1問も落としてはならないということとほぼ同義だった。
無茶だ・・・そう思った。
東大数学は異常に難しい問題を1問入れてくる傾向があった。 類似問題があまり見られないような奇抜な問題、 傾向が無く突然出されるから解けないときは解けないというような問題だった。 そんな東大の入試で満点・・・不可能だと思った。
毎日不安だった。 だけど、担任は理系7文系3のスタイルは崩さなかった。
前期入試の10日前くらいからだったか。 徐々に変わってきているのを感じた。 明らかに間違える数が減ってきていた。 どんな問題でも解けるんじゃないかと錯覚するほどだった。
理系科目満点・・・初めて言われた時は無理だと思ったが その時はもしかしたら・・・という思いがあった。
何回目のテストだかわからなかった。 俺は初めて数学で満点を取った。(物理では何回か満点を取っていたが) 俺は、日本中で誰よりも数学できるんじゃないかとマジで思っていた。 優越感だった。 いつの間にか、クラスのどんなやつよりも勉強ができるようになっていた。 毎日バカ高い金出して予備校行ってる人間よりも勉強ができた。 家庭教師、予備校、通信制のものを全部取ってるようなやつにも負けなくなっていた。
「やった!」俺は教室で採点をしている担任の目の前で叫んだ。 担任は 「よくやった!絶対いける!!頑張れ!」 普段は絶対言わないような言葉をここぞとばかりに言ってきた。 「予備校とか通ってる連中に絶対負けるなよ! 貧乏でも、予備校行けなくても勉強できるってことを見せ付けてやれよ。 絶対に負けるな。絶対に負けるな!」
何度も何度も「絶対に負けるな」と言われた。
浪人する気がなかった(というより、金銭面の問題で浪人できない)俺は 私立を受けていない時点で 東大を落ちたら防衛大というコースが決定していた。 正直防衛大は行きたくなかった。 絶対に負けられないと思った。 日に日に試験日が近づいてきた。 日に日に不安が増大していった。 試験4日前。 この日が最後の補習だった。
俺はこの時既に担任のことを恨んでいなかった。 厳しかったし辛かったけど、ここまで頑張れたのは絶対にこいつのおかげだからと思っていた。 試験の前にどうしても俺は担任に言いたかった。 「以前、ボイコットしたいなんて言って本当にすいませんでした。今日まで本当にありがとうございました」 他人に素直に謝ったのはいつ以来だろうか。 素直に礼を言ったのはいつ以来だろうか。 「礼を言うのは受かってからにしろ」 それだけ言われて、俺は先生と分かれた。 絶対に受かろうと思った。
最後の最後まで俺は悪あがきの勉強を続けた。 そして試験を受ける。 「試験は無常だ。どんなに勉強しても結果が出なければ何の意味も無い。 過程なんて誰も求めていない。とにかく結果を出せ。」 それが担任の口癖だった。 ここで失敗したら俺は負け犬のままだと思った。 結果を出したいと本気で思った。 ここで結果が出せなかったら俺の青春の3年間は何の意味もないだろうと思った。 そう思えば思うほど緊張は高まってきた。 試験が始まった。
あまりの緊張でお腹が痛かった。 我慢して問題に取り組む。 「ぎゅるるるるるるるr」大きな音がなった。 恥ずかしくて集中できなかった。
何度もお腹がなった。 オナラを出したかった。 でも恥ずかしくて出せない。 そう思って我慢していたら何度も何度もお腹が大きくなった。
笑い話に聞こえるが 当時の俺は本当に焦りまくっていた。 嫌な汗がダラダラ出た。
なんとか耐えた。 休み時間になると外に出て誰も居ないところでオナラを出した。 それでも次の時間になるとお腹がなった。
全教科お腹がなっていた。 どうやら極度の緊張になるとお腹がなる体質だったらしい・・・。
集中しきれなかった。 一応全て埋めたが、絶対に受かっていないと思った・・・。
ションボリして家に帰った。
家に帰ると お疲れパーティという名目で2年に1回くらいしか食べれない寿司やら 豪華な海老やら大好きなオカズが盛られていた。 俺は食べる気がしなかった。 親には悪いがそんな気分じゃなかった。 「落ちてもいいよ。大学が全てじゃないよ」といって励ます親。 違うと思った。 落ちたらクソだと思った。 生きてきた中で一番絶望していた瞬間だった。 死んだも同然だと思った。 布団に入っても眠れなかった。 担任から電話がかかってきた。
「どうだった?」 「すいません。だめかもしれません。」 「そうか・・・」 「本当にすいません」 「まだわからんだろ。 受かったらお前の努力の成果だが、落ちたら俺の力が足りなかったからだ」 「・・・」 「お前が落ちたら、俺は学校やめるよ。それぐらいの決意でお前に教えてきた。 絶対に大丈夫だ。俺が保障する。」 「・・・本当にすいません」
本気か冗談かわからなかったが 確かに担任はそう言った。
次の日からまた補習だった。 もし前期がダメでも後期で絶対に受からせると担任は言った。 休むことなく勉強は続いた。 前期の合格発表の日が近づいていた。
合格発表が掲示される1時間前くらいから掲示板の前で待った。 意外に人は多かった。 こいつらが全員敵かと思うと不安は更に募るばかりだった。 無神論者だが、この時ばかりは神様に祈った。
俺の母さんもドキドキしながら待っていた。 担任がやってきた。 「お母さん、どうもお久しぶりです。 これまで、僕を信じて息子さんを預けてくださってありがとうございます。 お母さんと約束した通り 僕の教えに最後までついてこれたら絶対に東大に合格させて見せますといいましたよね。 息子さんは最後まで僕についてきてくれました。 息子さんがもし落ちたら約束どおり僕は学校をやめます。」
勉強が嫌になって母親を連れて行った日に約束を交わしていたようだった。 なんでだかわからないけど、俺は少し泣いた。
合格発表が近づいた。 みんな一斉に掲示板に駆け寄る。
僕も駆け寄る。 自分の番号と掲示板の番号を一致させようとする。
人ごみに呑まれなかなか確認できない。
もはや暗記していた番号がないかと必死で探す。
・・・ ・・・・ あった。
受かっていた。
担任と親にも番号は伝えていた。 みんな戻ってくる。 母さんが泣いてた。 俺も泣いてた。 担任の方を見ると 「やったな」 とだけ言って笑顔を見せてくれた。
笑顔なのに、担任も涙を流していた。
それを見て僕は更に涙をボロボロと流した。
少し落ち着いてから 「先生、本当にありがとうございます。 俺・・・」 ここまで言うと、また感極まったのか涙を流す俺。 なかなか言葉が出ない。 担任は何も言わずに次の言葉を待っていてくれた。 「俺・・・俺・・・先生と会えてよかった。教われてよかった。いろいろあったけど本当に・・・本当に 本心でそう思ってる」 今思えばかなり臭いし、ドラマ的なセリフすぎるとも思うが、そういうことを伝えた。 担任は目に涙を浮かべていた。
卒業式を迎える。 式を終えた後、親と生徒は教室に戻り 生徒は担任と最後の言葉を交わす。
担任が皆に一言ずつ言っていく。 俺の番になった。 先生の言葉が詰まる。 また涙を浮かべていた。 「こいつは俺の最高の生徒です!」 みんなが見ている前でそう言った。大声で言った。 今だったら贔屓だとかなんだか言われるかもしれない。 「この学校をこいつが卒業するのが寂しいくらいの最高の生徒でした。大学でも頑張れ。頑張れ。」 と泣きながら言った。
俺も感極まって泣いた。 これで普通は席に戻るんだが、俺は戻れなかった。 「この学校を卒業したら、俺と先生は、教師と生徒という関係じゃなくなります。 ・・・だから、卒業してからは年を越えた親友として生涯飲みあえる仲になれませんか?」 何故かそんな言葉が出た。 教室がざわついていたが気にならなかった。 「おぅ・・・もちろんや。もちろんや・・・。」 先生はそれだけ言った。 俺も先生も泣いていた。
そして今年もまた寒い冬がやってきた。 高校を卒業して以来 毎年冬になると恒例になっているイベントが今年もやってくる。
昨日電話がなった。 「そろそろ冬休みだよな。今年はいつ飲みに行こうか?」
今年もいろいろありました。 話したいことがたくさんあります。 一生涯の親友といつまでも酒を飲みながら話したいと思います。
当初はもっと暴力的な部分とかハチャメチャな部分とかを前面に押して書こうと思ったんだが 書いてるうちにこうなっちまった。 もっといろいろなハチャメチャエピソードがあるんだが それを書いちゃうと本編から外れるし 感動も薄れると思ったからかかなかった。