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【まじかよ!!】フリーターのドイツ旅行の思い出→少年に折り鶴をあげる→少年「!?」と満面の笑みを浮かべる、なぜなら。。。

    スペック 175センチ 55キロ 旅先で出会った人について投下したい。 ドイツ語なんて「アインス」と「ツヴァイ」(1と2)とダンケぐらいしか 言えなかったが、それなりに思い出ができた。

    詳細の文量の都合でドイツ到着5日目から書く。 ベルリン発ミュンヘンの中央駅に到着。 ドイツも5日目で大分慣れてきた。美術館からホテルに帰り、 たっぷり休んだ後、駅やその周辺をぶらつく事に。

    食欲がわかないが、何か甘いものを採ろうと駅構内のスタバに。 「折角のドイツなのに」と思うだろうが、商品を選ばなくていいから楽なのだ。 イスに座っていると向かいのテーブルに幼い子供が座ってきた。 両親は会計をしているのだろう。少年に笑顔を向けてみるが、 怖いのか顔を背ける。

    彼が2、3度こっちを向くたびに笑顔を向けるのだが恥ずかしいらしく、そっぽを向かれる。 せっかくの旅先なのに寂しい。どうにかならないものか、折角なので折鶴を折ることを思いつく。 店のレシートを切ってちまちま折る。バランスが悪いものの、どうにか完成。 少年がこっちを向くのを見計らって折鶴を見せる。

    鶴を見た瞬間、少年が「!?」という表情で隣の姉を見る。コピペみたいな反応である。 可愛い。そのまま立ちあがり、「here」と少年に折鶴を差し出すと 素直に掌をだす。折り鶴を彼の手に乗せると満面の笑顔で「thank you」と 返してくれる。

    両親も折鶴に気づき笑顔になる。 父親は私に「Suimasen」とお礼を言ってくれた。イギリス人だろうか。 私は返事がとっさに出てこなかったが笑顔を返し、「japanese crane.a bird」と 教え、その場を後にする。

    私も笑顔、少年の家族も笑顔、奥に座っている若い女性も笑顔。 折鶴を折れてよかった。子供に折鶴をあげることは地味ながら、海外旅行でやりたかったことの一つである。

一度鉄道に乗った時も似たようなことをしたが、折る様子がとても珍しいらしく、 東欧系の姉ちゃんはチラチラこっちを見返すし、向かいの白人男性は凝視してて怖かった。

    私も笑顔、少年の家族も笑顔、奥に座っている若い女性も笑顔。 折鶴折れてよかった。地味ながら、海外旅行でやりたかったことの一つである。 鉄道に乗っている時も似たようなことをしたが、折る様子とても珍しいらしく、 東欧系の姉ちゃんはチラチラこっちを見返すし、向かいの白人男性は凝視していて怖かった。

    ベルリンでは物乞いと仲良くなった。 ドイツ旅行三日目で、病院からホテルに帰宅。何か栄養のある 食べ物を買おうと橋を通ってホテルの最寄り駅へ。 駅でビッグマックセットを買い来た道を戻っていると女の子が声をかけてきた。

    足元には小銭の入った紙コップがある。物乞いらしい。 実は彼女、駅に向かう時もいたのだがその時は友達と待ち合わせしてるのかと思っていた。 それぐらい普通のカッコだったしなにより可愛かった。 慣れないドイツで乞われる。一人旅だったので こんな事でも声をかけてくれて嬉しかったのかもしれない。

    外国の硬貨はどれがいくらか、見分けがつかない。めんどくさいので 小銭入れから結構な枚数の硬貨を出してそのままコップに入れた。 「そんなに貰えるの!」(と言う様な事を言われた。実際は分からない。) 大きい額と小さい額で分けてたけど勘違いして大きい額の財布から出してしまったらしい。 後で気づいた

    デジカメで色々撮っていたのだが一人旅なので人物の写真は極端に少ない。 折角なので写真を撮っていいか彼女に聞いてみた。 「写真?う~ん・・・いや、いいわ。撮っても」(と言う様な事を言われた。実際は分からない。) 撮ろうとすると私の正面に来たので乞食の様子を撮りたいと勘違いされたようだ。

    「with me」と言って彼女の横に行くと思いっきり顔を近づけ、腰に手を回された。 私も彼女の腰を掴み、写真を撮る。すごい笑顔で可愛い。先ほどまで仏頂面だったが、 デジカメで一緒に撮るというのが嬉しかったのかもしれない。

ポケットに入れた財布が心配になったが盗られていなかった。

    ブレてしまったのでもう一枚。 今度はタイミングがずれた。人通りが増え、地べたに置いたマックが 心配になったので切り上げる事に。 「私、顔の向きが変ね」(身振りこみで)と言っていたので 「You are beautiful」と言った。

    多分疲れもあって私も素直になっていたのだろう。 しかし彼女が可愛いのは本当だ。 一瞬彼女が固まり、「gffvzg今夜はいい夜yinn6dgkj」と言うような事をまくし立てていた。 私は自分の発言に気恥ずかしくなり、礼を述べそのままホテルに帰っていった。

    次の日朝からベルリンの町を散策してまわり、夕方頃カリーブルストを食べながら ホテルに帰っていると、同じ場所に彼女が立っていた。 新聞を読みながらタバコを吸う彼女の横顔は 昨日取った写真の彼女とは別人のようだった。

    しかし私に気づくと声をかけてくれ、年相応の表情になった(何歳か知らないけど)。 「今日も食べ物を持ってるのね」(~) 一人旅だったから、とても嬉しかったのを覚えている。

    私の英語力はそこらへんの大学生と大して変らない。2ユーロ入れながら 何とか「明日 ミュンヘン に発つんだ」言った。 「そうなの!gfawawem五年間huag. fawgfawgドーナツughuaf」というような事を早口でまくし立てていた。。

    全く聞き取れない。そもそも英語じゃないのかもしれない。 彼女がなんと言っていたのか、今でも考える。 「ドーナツが有名よ」「ドーナツ屋で働いてる」「ドーナツでも食べに行かない?」 そもそも彼女は乞食じゃないのかもしれない。

    彼女の言う事が分からず、ジャパニーズスマイルと共に 分からない踊りをして「fine」と言って去りホテルに帰宅。 このころにはもう彼女の事が気になっていたと思う。

    ホテルで休み、もう一度彼女に会いたいと思った。 しかし次の日はミュンヘンに行く予定。鉄道で五時間の道のりだ。 あまり動き回ったら次の日へばってしまう。 色々迷ったがもう一度、橋に行く事にした。 しかし現実は非情である。 橋に向かう同じ場所には見知らぬ男性の物乞いが座り込んでいた。

    そのまま駅の方へ寄り道しようと橋を降りかけたら。例の彼女が声をかけてくれた。 私のすぐ横にいた。全く気づかなかった。 辺りは暗く、周りは白人ばかりで見分けがつかなかったのだ。 「あなたはいつもクールね」(~)とだけ言ってそのまま行こうとする。

    どうやら男の人と一緒のようだ。友達か?父親か?多分彼氏だろう。 なぜだか彼の方も笑顔で私に手を振っている。

    しかし私は彼女が声をかけてくれたことが嬉しかった。 去る彼女を呼び止めるために英語で何と言っていいか分からない。 話せるドイツ語はeins、zweiにdankだけ。 それでも手を上げて彼女に駆け寄ると彼女は私に応えてくれた。

    ドイツは寒くみんな手袋をしている。彼女の手袋越しのハイタッチは固く、音は鳴らなかった。 しかしこの瞬間私は彼女とは友達になれたような気がした。 彼氏もなにやら私に笑顔だ。私のことを彼女から聞いていたのかもしれない。

    その後、最後に彼女達2人の写真を撮らせてもらって別れた。 名前も歳も出身も知らない。しかし彼女はこの旅一番の思い出だ。 私は今でも彼女のことを思い出し、この写真を見ると笑顔になれる。

名前を訊かなかったことを後悔している。 会話もろくに出来なかったがまた会いたいものだ。

    日本出発の日、私は寝不足でドイツ行き12時間のフライトでも殆ど寝れなかった。 海外旅行もほぼ初めてなのも興奮に拍車を掛けてたと思う。

    旅行一日目、ドイツのフランクフルト空港に着いたのは 現地時間17時過ぎ。それから入国審査を受けてパスする。審査官はのんびりしたものだ。 そのまま入国ゲートをくぐるが、事前確認は2~3の観光地と治安情報しかしてなかったのでどうすればいいかわからない。 「くぐる前にスーツケースを取らないといけなかったのではないか」と青くもなった。

    その後スーツケースを無事手にし、うろうろしていると韓国人と間違えられた(韓国人の旅行客から)。 私は激弥生人顔なので、日本でもたまに間違えられるのだ。 「sorry I don’t know your lungage」と返し鉄道乗り場の方へ。 これには声をかけた彼女も苦笑い。

    窓口で鉄道回数券を買いにいく。以下英語での会話。 私「じゃーまんれいる・ゆーす・パス が 欲しいのです。」 駅員「何日分?」(~) 私「四日間」 駅員「gfawrrgag一ヶ月awefawga」(~)

    私「ちがう。四日間。」と指4本。 駅「四回分でしょ?gsmjaejm一ヶ月awfw有効e;/giarpkoweafjo」 早口でまくし立てる女性駅員。これには思わずジャパニーズスマイル。 「は、はいです」 「iagimnjawmioajdwniawr;ojmwe4aijvm;oa」 駅員が英語か独語でぶつぶつ何か言っている。ちくしょう。

    その後、ケルン行きの都市間超特急(ICE)乗り場を目指すもわからず、 仕方なく赤帽をかぶった案内員に尋ねる。体がでかい。ガムを噛んでおる。

    「ケルン行きの電車に乗りたいのです。何番?」 ガムを噛んでる駅員が憤怒の形相に。 再びジャパニーズスマイル。 この様子を駅員の後ろからトルコ人が窺っている。

    どうも「ケルン」の発音が悪かったらしい(koln,『o』にはウムラウト。点々のあれね。) 江戸時代の町民はペリーを赤鬼と呼んだが今ではこれも納得がいく。 苦し紛れに「コェルン」と発音してみるとどうやら通じた。 「お―ぅ!ケルン。47だ。」と答えが得られた。 47番などあるのだろうか?しかし礼を述べ、逃げるように去る私。 看板を見ると「4 to 7」。聞き間違いだったようだ。

    長いエスカレーターを上るとすごい明かりのパン屋が店を構えている。 そして長い通路を歩くと電光掲示板のある広がりに着いた。 エスカレーターを下ると乗り場に行けるが何番線かわからない。 その場にいた駅員に聞くと6番という答えが返ってきた。 ほとんどこちらを見なかったが、簡潔に答えてくれたのでありがたかった。

    線は分かったのだが手持ちのチケットで乗れるのか不安になった。 ドイツには改札口が無い。打刻機で記録するか駅員に見せるらしいのだ。 勝手がよくわからないのでICEに乗るに乗れない。

    乗り場をうろうろしていたら、私の服装が派手なのか三人組の白人に口笛を鳴らされる。 俺はゲイじゃない。日本では地味な格好の扱いなのに。畜生

    乗っていいのか分からない。駄目だったらどうしよう。本当に6番線でいいのかな。 言葉がわからない。そもそも英語で満足な意思表示もできてないんじゃないかな。 日本で分からない事があったら駅員さんにも通行人にも訊けるぐらい図太いのに。

    寝不足や疲れ、ストレスなんかが溜まっているのだ。 食欲も機能しておらず栄養が足りていなかった事も原因だろう。 足下から急に血の気が引いていった。ヤバイと思った。 こういう事は初めてだったが何か口に入れようと思う。 近くにあった自販機でコーラを買おうとしたが小銭がない。 日本と違いお札が使えないのだ。

どうしよう。どうしよう。 どうしていいかわからない。あぁ・・・。

パニック障害である。

    断っておくがドイツ人は優しい方が多い。空港も想像していたより綺麗だったし 都市の町並みも統一感があり綺麗だった。働くドイツ人は優しくなかったが、 私はドイツ語はおろか英語もロクに使えない旅行者なのだ。駅員の対応に非はない。 寝不足で万端の準備を怠った私に原因があるのだと今でも反省している。 飛行機の中で空腹に気づいていたが、降りてから適当に食べればいいだろうと思っていたらあっという間に時間が過ぎ、食欲も上手く作用していなかったのだ。 今まで肉体的にも精神的にも健康だったので、こんな事は初めてだった。

    とにかくドンドン不安になっていく。しかしこんな所で倒れては本当にどうしようもない。 構内のパン屋を思い出した私はエスカレーターを駆け上り、もと来た道を急いだ。 途中、呼吸が深く速くなる。過呼吸発症である。これは彼女に振られて以来二度目だ (今wikiで確認したが正確には喚起症候群という方らしい)。

    とにかく落ち着かなければ行けない。立ち止まってゆっくり呼吸をする。 自分を励まし焦らず、しかし急いで道を戻りパン屋でパンを二つ買った。 男性店員は無愛想だったが「有難う」と何とか笑顔でいうと笑顔を返してくれた。 イスに座り、その場でつまむと少し落ち着く。 しかしこれから鉄道に乗らなければ行けないと思うと叫びだしたい衝動に駆られる。 早くケルンのホテルに泊まりたい。

    この後、先ほどの自販機でコーラを買って乗車した。駅員にも特に咎められかなった。 座る場所がなかったので乗降口に荷物をまとめて座りこむことにした。 一度走ると30分は停まらないので誰も気にしないようだ。 コーラを口に含む。無事にホテルにつくのかと頭を抱えていると 匂いに釣られたらしい黒い犬が私の胸元まで来ていた。

    「だめよ。Fjh,」(~) 飼い主の女性は謝ってきたが、私にはこの犬の行為がありがたかった。 「この列車はケルンに行くの?」 「ええ」 「何時つく?」 「わからないわ。一時間ぐらいかな」 とりあえずケルンには確実に行くことがわかって安心した。

    礼をいい、座り込んでパンを口に入れたりコーラを飲んだりした。 この時点で18時半だったろうか。 ケルンに着くのが先か、私がおかしくなるのが先か。

    その後、帽子を使ってペーパーバック法で呼吸をする。 漫画の知識も役に立つものである。 デジカメには大学の部活の写真十数枚が消されずに残されていた。 写真と帽子、パンとコーラでギリギリ正気を保って揺られている。 ドイツに一人で来たことをずっと後悔していた時間だった。

    私は大学を留年している。仲の良い後輩が卒業旅行に誘ってくれていた。 素直にそちらに参加すればよかった。両親もこの旅行は心配していて ツアーで近場にすればと言っていた。 大人しく沖縄でも韓国でも行けばよかった。

    その後乗車席に移動するとドイツ紳士が席を譲ってくれた。(今思うと有料の一等車だったあそこは。) その後何とかケルンに着いた。タクシーに乗り込み、予約しているホテルの住所を見せる。 駅に下りタクシーの窓から町並みを見ていたら大分気分が落ち着いた。 途中、下道で90キロ出す運転手に話しかけてみるが返事が返ってこない。 冷たいな。

    そして初日の宿、ユースホステルに着く。 シングル30ユーロの部屋は値段の割りに広く綺麗だった。 寝る。一日目終了。前置きはまだ続きます。

ちなみにドイツのホテルは60ユーロ以上が中堅ホテル?なのでこれは格安です。 ユースはドイツが発祥で、広くて綺麗でした。

    二日目 「ベルリン行きのチケット買った」と英語で呟きながら朝1時に目が覚める。 ケルンの夜が寒すぎたためである。風邪にでもなったら大変だ、と 急いで厚着し足用ホッカイロをつけ再び就寝。 結局足用カイロの熱さで4時に目が覚めた。 その後6時ぐらいに散歩し最寄駅をブラブラ。真っ暗だったが人がたくさんいる。

    ユースに戻り、朝食を採る。見知らぬ宿泊者同士が声をかけて 隣り合って座り会話しているのが印象的だった。 その後、食器の下げ方がわかわずポーランド系っぽい女の子に手伝ってもらう。 可愛い。

    窓から大聖堂が見えるホテルを出てタクシーでケルン大聖堂へ。簡単に見物し 大聖堂そばのケルン駅から列車に乗り、3~4時間かけてベルリンへ。 景色に見とれていた。 列車の旅は良い。言葉も何もわからなくても座っていれば十分楽しめる。 ICEの中には簡単な売店もある。平坦なので揺れも少なく快適だ。 ただこちらでは鼻は噛むのがマナーだし、通話してる人はたくさんいるから、 慣れない人は辛いかもしれない。

    途中、向かいに座っていた間スペイン人の女性二人がずっと喋っていた。 私に挨拶するときもスペイン語だった。片方が席を立つともう片方は西語で 鼻歌歌ってるし、スペイン人はどこの国に行ってもこうだろうな。 「落ちた本は貴方の?」(~)もスペイン語だったし。 一応昼ごろクロワッサンとホットチョコを食べたが栄養価など知れている。 私はアホだ。

    ベルリン中央駅に着く。まぁーーでかい。先ほども書いたが改札が無いので駅の境がわからない。 タクシーでそのままホテルに行くつもりだったが出口も見つけられない。 そのままうろうろしていたら、またしても足下から何かが引いていくあの感覚。

適当な店に駆け込み、サンドブレット?とオレンジジュースを買う。 ドイツでは店内で食べるかどうか必ず訊かれる。税金が変るからだろうか。

    「here」と伝えイスに座りジュースを飲み、パンに噛り付く。が、かなり硬い。 一口分齧りきったが咀嚼できず、それきり食べる意欲が無くなった。 しかたなく中身だけ食べる事にしたが、何とか元気になった。 店を出るとすぐに駅の出口が見え、タクシーに乗り込みホテルへ。

    一泊59ユーロとエコノミーなホテル。ガイド本によると60ユーロは比較的やすい宿らしい。 部屋もそれなりに広かったし綺麗だった。変圧器も貸してくれたし。 チェックインした時点で16時だったろうか。 また体調が悪くなったらまずい。ホテルで休む事にし、横になったがなかなか寝れない。 食料調達がてらホテル周辺を散歩する。

前置き終了。

    私は予定を組むのが苦手なので、基本的にドイツの街をぶらぶら歩くこと、 喫茶店に入り、ドイツ語に囲まれてボーっとすることをコンセプトにこの旅を始めました。 ただ一都市に一つは行くところを決めていたのである。

    ケルン大聖堂、ミュンヘンのアルテ・ピナコテーク、そしてベルリンフィルである。 大学ではオーケストラの部活に入っていたのだ。 ジャケットを羽織り、20時開演に余裕をもって出発。 胸が鳴る。今思うとこれは動悸だったな!ろくに休めてないからね!

    この日の夕方頃から体調にものすごい不安があったし、このとき取った写真は どれもブレている。そもそも体の調子がよくわからず 会場に行くのさえ辞めようかと悩んだぐらいだ。 それでも無理をおしてタクシーでベルリンフィルに向かった。

    気分も少しずつ、確実に悪くなってくる。大丈夫だろうかと不安になる。 しかしドイツに来たからには聴きたい。その気持ちが勝ったのだ。 結論から言うと、入場したものの体調、精神的に優れず演奏の途中で退席しホテルに帰った。

    予約していたチケットを引き換え、入場。 サントリーホールの元となった造りに、たくさんの打楽器。大編成らしい。 そういえばこの時感動して胸が一杯になったんだった。旅の前半の思い出は大変だったことしか頭に無かったんだけどね。

    座っていると観客の会話が大きな雑音となって私の体を取り囲む。 ふと「私を悪く言っているのではないか」という被害妄想に駆られた。 頭ではそんなことは無いとわかっている。しかしどんどん不安になる。 仕方が無いので脳内変換で激励の言葉に変換した。

    念のためトイレに二度いく。動悸もすごい。 疲れが溜まるとどうも下半身にも影響が出るらしく尿の加減がおかしい。 足も心なしかふらふらだ。席に座ってひたすら待つ。

    エスニックジョークの世界で「ドイツ人は開演時間になったその瞬間に指揮が始まる」というものがある。 時間に極めて正確な国民性だという事なのだが現実は違う。そんなものではない。 定刻の7分前には演者が舞台に出てきて4分前にはもう始まっていた。 ドイツってすごい。ならばフランスは逆方向にすごいのだろうか。

    ドイツのオケは素晴らしい。観客や会場も同様だ。始まる前の静寂も音楽の一部のようだと実感した。 一曲目はバイオリンの静かな音色から曲が始まる。

音を聞いた瞬間脳波が大きく乱れた気がした。

    のだめの影響で、知った人もいるかもしれないがオーケストラは大抵 序曲(10分ぐらい)→サブ(20~30分ぐらい)→交響曲(30~50分ぐらい)の プログラムが組まれる。もちろん曲によって長さも違うし演奏形態も変わる。

    ともあれ序曲の中ごろには、終わり次第退席する事を決めた。 演奏に集中できないし、高弦と打楽器以外には全く意識がいって無いことに気づいたからだ。

音楽が終わりに近づくにつれて、私は悲しくなっていった。せっかくのドイツ旅行。 事前に決めていた数少ない観光先だったからだ。

    しかし私にはこの席に座る資格など無い。万一気が触れて叫んでしまったら とんでもない賠償金を支払わされる破目になる。ロクに音楽も聴けて入ない。 何より自分の健康が大切だ。 あぁ打楽器の彼は何故あんなゆっくりした予動で入りに間に合うのだろう?

    勇気のある決断ではないだろうか?身から出た錆とはいえ 私の大好きな交響曲のプログラムに背を向け、他人の膝をおしのけて中ほどの席から退席するのだから。 あの時私をにらんだ紳士の迷惑そうな怒りのこもった視線は今も忘れられない。 私は48ユーロの座席に座るに値しない人間だったのだ。

    預けていた紅色の上着を受け取り出口に向かう。クロークやドアマンが私に合わせて動いてくれる。 ドイツ人もなかなか気が利くじゃないか。逃げるように建物から出た私はタクシーを捕まえた。 ホテルの住所を伝えようとするが記した紙が無い。 ホテルから持って出た筈なのに。

    ポケットの中身を全部出す。市街地の簡易地図。チケット、劇場で貰ったパンフや何やらが出てくるが 肝心な物が出てこない。これでは帰りようが無いじゃないか。タクシー運転手も待たせているのに。 どんどん焦る私に、運転手が「パニックになるな。問題ない」と言ってくれた。

パコである。

    彼は迷惑そうな顔をせず路肩に寄せて待ってくれた。 そしてすぐにメモが見つかりパコに手渡すと「ここだね、わかったよ」(~)と言って発車した。

    ホテルに帰れる。安心すると同時にそれまでのストレスが噴出し、泣いてしまった。 号泣して嗚咽まで出た。

    パコ「どこか悪いのか?」(~) 思えば中途半端な時間にベルリンフィルの辺りから東洋人が徘徊していたのだ。 彼はよく停めてくれたものである。 「観光 12時間の飛行機。とても疲れてるが寝られない。オーケストラは演奏している。ぼくはあまり英語を喋れない」と説明した。 色々いった筈だが伝わったのはこれぐらいだろう。しかしパコは事情を充分に理解してくれたと思う。

    「君は豊かな人だ。英語を喋れるし目も見えるし歩けるんだから問題ない。 ぼくはタクシー運転手として働いている。世の中には働く人がたくさんいる。 でもオーケストラは労働ではない。だから君は引け目を感じる事は無い。 問題じゃないよ。」(~)と慰めてくれた。

「家族はいるか?いるんだね。恋人は?ぼくには目が見えない友達がいるんだ。」(~)と 色々話してくれた。ちなみに私に彼女はいない。 その後、全く言っている事がわからなかったが、私のために英語で色々慰めてくれた。

    「君は今あまりしゃべれない。だが次に訪れる時は必ずこの国の言葉を話せるようになってもう一度ぼくと話すんだよ。」(~) 全く聞き取れなかったが、不思議にもこう言われたような気がした。 私はパコにお礼を述べ、彼に名前を尋ねた。私の名前を言うと 「ノブナガ(仮名)!オウ、ノブナガ(仮名)!」と肩を揺らしていた。 テンポを感じるというか、ワクワクするような響きを感じたらしい。

    その後代金を払い、私はホテルに戻った。 散々な演奏会だったが泣いて弱音を吐いたことで、パコに慰めてもらったことで 随分気分が落ち着いた。

私は保険会社に電話して病院に行くことを決意した。 パコのためにも体調を戻さないといけない。 ベルリンには3泊するのだからゆっくりして行こう。 都市の空気は自由にする そう考えてドイツ二日目は寝た。

でさっきのベルリンの橋の話にいく。書き溜め終わり。

    ちなみに今回の旅路は ケルン ベルリン フランクフルト ミュンヘン で26万円前後です。 飛行機代から宿泊費まで込みです。 旅行代理店を通さずにネットで全部予約しました。

病院にかかったお金も保険で帰ってきましたよ

    ちなみにドイツ人女性はオシャレだった。 もこもこの帽子をかぶって、パンが入った紙袋を片手に歩くさまは ドラマのよう

    クラシックの途中ってホントは退席はおろか音ひとつ建てちゃいけないんだっけか? まあ今回はやむを得ない状況だったけれどもさ