学校生活最後のお弁当
給食だったり、学食だったり
いろんなケースがあるかと思いますが
今回ご紹介するのは「学生生活最後のお弁当に入っていた手紙」のお話です。
——以下引用——
高校の頃とにかくバイトと遊びで、
はしゃぎまくってた。
無免で中型乗って馬鹿だから、
マッポに捕まったりして、
おかんに迷惑かけまくった。
バイトもキャバクラと他に掛け持ちして、
学校も公立の普通科で超多忙で、
通学費だけは自分で払ってた。
そんな中、高2~3まで、
ダイエットと忙しさで拒食症になった。
すごいガリガリになって、
普通の生活が辛くて眠くて、
イライラがずっとあった。
でもバイトも学校もしっかり行っていたが、
毎朝おかんが作るお弁当を全く食べずに、
家においていったままにした。
ほとんど食事をとらず友達にも家族にも、
相当心配かけてた時期。
家族との仲に溝ができて、
会話がほとんどなかった。
しかしやっぱり人間の本能。
いずれ食欲は出て来て、
普通の生活が出来るようになり、
今ではその反動がきてるw
拒食症の症状も軽くなった頃の高校卒業間際
学校最後のお弁当がある登校日。
久々の朝の会話
「お弁当忘れてるよ。」
その日学校で、
丁寧に包まれたお弁当箱を開けた。
そこには母からの手紙が。
娘を想う母の気持ち
あなたがダイエットをする頃から、
母はお弁当を作らなくなり、
悲しいような…楽チンだったような…、
一時期は本当にどうなるのか、
不安で仕方ありませんでした。
たくさん心配かけることをしてくれた、
あなたですが体だけは健康にね。
いずれあなたにも子供ができて、
文句を言いながらお弁当を作る様子を、
思い浮かべると笑っちゃう。
でもあなたはママの娘。
何があっても大丈夫。
これからも頑張ろうね。
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学校で泣いた。
友達に自慢しまくったw
泣きながら手紙入ってるよーって。
そのお弁当には私の大好きなおかんの、
手作りだし巻き卵焼きが入ってました。
うちのおかんは本当に料理がうますぎて、
ピザも生地から手作りで、
味噌とかも家で作ってます。
絶品。
月日は流れ、今私は19歳。
就職して1人暮らししています。
おかんのお弁当、なんでなんで、
もっと欲張って食べなかったんだろう。
人生最大の悔い。
今更だけどおかんのお弁当って、
どれだけあったかくておいしかったのか、
思い知らされました。
あの愛情に勝てるものは、
この世にないでしょう…
おかんみたいなおかんになることが
私の夢です。
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色々な愛情がありますが
私の夢です。
ちょうど突っぱねたくなる思春期ですが
あの頃のありがたみを今一度思い出して、噛みしめたいですね。
↓後悔しない為にも弁当は食べて欲しい。次ページ↓
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とつい、きつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
↓Twitterで話題になったあの弁当話にも続きがあった!次ページ↓
ツイッターで話題の「高校最後の弁当」 感動呼ぶその続き
NEWSポストセブン
Twitterへのある投稿が話題になっている。それは、“弁当”が生んだ母から息子、そして息子から母への感謝の気持ちだ──。お弁当包みに入っていた1枚の手紙。便せんや一筆箋に改めて書かれたものではない。小さなメモ用紙にまるで走り書きのように書かれていたのは、母から息子への感謝の気持ちだった。
そこには「勇貴へ とうとう高校最後の弁当になってしまいました」から始まる母の愛情がふんだんに盛り込まれていた。
息子は母からのメッセージをTwitterに投稿。瞬く間に拡散し、「感動した」「母想い」「泣きそうになった」と大反響を呼んでいる。
Twitterに投稿したのは、宮崎県小林市に住む内村勇貴くん(18才)で、3月1日、宮崎市の高校を卒業したばかり。両親と妹2人の5人家族だが、4月からは就職のため東京で1人暮らしが始まる。
卒業を数日後に控えた“最後のお弁当”の日、お弁当の包みを取り出した勇貴くんは、手紙が同封されていることにすぐ気づいた。でも、まずはお弁当を食べたという。
「手紙を読んだらきっとヤバいなって、泣くかもしれないって思った。そういう手紙なんだろうなって。だから先にお弁当を食べて、食べ終わってから読んで、友達にも見せました」(勇貴くん)
手紙を読んでちょっとウルッときたけれど、泣くのは我慢した。もし学校じゃなかったら、周りに友達がいなかったら、泣いていたかもしれない。
「友達から、写真撮っておけよ、って言われて、記念だから撮った。Twitterにアップしたのは、感謝してもしきれないっていう気持ちがあったからです」(勇貴くん)
このTwitterは、約2万3000のリツイート、約4万3000の「いいね!」がつき、日本中に感動が広がっている。親にとっても、子にとっても、“お弁当”には温かい思い出があるからだろう。
そしてこの話には続きがあった。家に帰ってきた勇貴くんは、何も言わず、いつものように母・文子さん(46才)に空のお弁当を渡した。文子さんは、手紙について何も言ってこない息子にちょっとがっかり。18才の息子なんて、こんなものよね、と自分に言い聞かせた。でも、その翌日、息子からの“無器用な返信”があったことに気づく。
「お弁当を包んでいた風呂敷に、私が書いた手紙が入っているのを見て、なんで自分で持っていないのよ、いらないってこと? とショックを受けたんです。でも、手紙をふと裏返してみたら…“お母さんへ”って書いてあって…読んだらもう、バーッと涙が止まらなくて…読んでくれていたんだなと思って。台所でワーッと泣きました」(文子さん)
手紙には「3年間弁当ありがとう」に始まり、「今日で高校最後の弁当だけど、またいつか作ってください。本当に3年間ありがとう。」で終わる。文子さんはお弁当を通じて3年間、勇貴くんの体調の変化を感じたり、おかずの好みについて話すなど楽しい時間が過ごせたと話す。
いつもは、肉のおかずを1種類しか入れないのに、この日のお弁当には、唐揚げとハンバーグ、2種類を入れた。作った本人よりも、勇貴くんのほうが、そのメニューをスラスラ口にしたところを見ると、思い出深いお弁当だったのだろう。
「豪華でおいしかった。朝は7時前のバスに乗って学校に行くので、母はかなり早起きしてお弁当を作ってくれた。たまに寝坊したりするとパンを買うけど、やっぱりお弁当のほうがおいしいから、“パンかぁ”って感じでした。本当に感謝してるんだけど、面と向かってなかなか言えないから、手紙でちゃんと伝えられてよかったです」(勇貴くん)
いつかお母さんにご飯を作ってあげたい――勇貴くんはそう思っている。メニューはバイト先で覚えた得意のチキン南蛮だ。
「手紙は大切な宝物なので、これからもずっと大切に持っておきます」
文子さんは、小さなメモ用紙をそっと握りしめた。
引用元:http://lasoreiyu.com/everyones.news/?p=4315、http://news.livedoor.com/article/detail/11314314/