高校1年生の秋。翌日は私服での遠足だったので、その為の服を買いたくて浮き足立っていました。
部活が終わり早く帰りたかったので、駅までの自転車は自然と速度が上がっていたと思います。
目の前の信号は青。信号までは少し距離があるので
間に合わせる為に力一杯ペダルを踏み込みました。
歩道がない片道1車線の少し狭い道で、左前方に車が一台駐車してたのでそれを避ける為に少しセンターライン寄りに走りました。
そこで私の記憶は途絶えています。
何が起こったのか全くわかりません。
覚えているのは、駐車しているワンボックスカーと前方の青信号。
次に目を開けた時は病院。
数時間の記憶がありません。
私は前方からきたバイクと正面衝突をし、横のワンボックスカーに頭を強く打ち倒れたようです。
記憶のない数時間の間、とても不思議な夢を見ていました。
私は陸上部でした。
その日は大会で、なぜか試合会場の医務室にいました。そこの小さな窓には鉄格子がされていて、そこから外で練習している人が沢山見えます。
正直部活は好きではなく、もちろん練習も嫌いな私でしたが、外の練習風景はとてもとても楽しそうですごく参加したくてたまりませんでした。
リレーメンバーが見えたので声をかけると『メンバーが足りないから早く来てほしい!おいで!!』と笑顔で誘われました。リレーメンバーは4人。外には4人揃っているのに私が必要と言われ少しとまどいましたが、何よりも楽しそうだったので『わかった!今すぐいくから待ってて!!』と言い鉄格子から手を離そうとした瞬間、右側から自転車に乗った私が走ってきたのです。
ビックリして見ていると左側からバイクが勢いよく走ってきます。
外で練習している人たちは顔の部分が黒くて誰なのかわかりません。色も少し淡い感じでした。でも自転車のわたしとバイクに乗った人は顔もハッキリわかるし、色も鮮明です。
『ぶつかる!あぶない!』と思い目をつぶった瞬間『バンッ!!』と言う衝撃音が耳元で大きく鳴り響きビックリして目を開けました。
そして目の前には泣いている母がいました。目を覚ました私に安堵し、泣いてしまったようです。
さきほどの試合会場ではなく、どこかよくわからない部屋で寝ていて、腰に激痛が走りました。
あなたは交通事故に遭い、今まで意識を失っていたんですよと警察の方に説明され、状況を徐々には把握する事ができました。
車に頭をぶつけ意識を失い、救急車で運ばれたようです。
幸い怪我も軽く、腰の横の骨を数本骨折しただけで済みました。
意識を失っている間に見た楽しい夢。あれは何だったのでしょうか。あそこでリレーメンバーに参加していたら意識は戻っていなかったんではないか…色々考えると少し怖くなりました。
嘘のような話ですが私が体験した実話です。
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バイクの事故で3日ほど意識不明だった時、夢を見た
バイクの事故で3日ほど意識不明だった時の話。
その時、俺は夢を見てたんだ。
起きたら祖父母の家だった。
で、今日は親戚が集まるからあいさつしなさいと言われて…。
10/07/04
コピペではないが俺の不思議体験談。
バイクの事故で3日ほど意識不明だった時の話だ。
その時俺は夢をみてたんだ。起きたら祖父母の家だった。で今日は親戚が集まるからあいさつしなさいと言われた。
10人くらいの親戚がきたのかな。知ってる人もいたし、顔は知ってるけど名前が出てこないって人達もいた。
で食事して雑談してた。
でも俺は何か忘れてるな~、と夢の中でずっと思ってた。すると家のチャイムがなり、祖父に「お父さんとお母さんが迎えにきたから帰りなさい」と言われた。
玄関のドアをあけたところで目がさめた。
起きたら病院のベッドの上で両親がいて、なぜか泣いて喜んでた。
退院して見舞いにきてくれた親戚の家にあいさつまわりしてるときに、ふいにかざられてある先祖の遺影が目に飛びこんできた。
そして思い出した。
夢で出てきた親戚一同はすでに亡くなってる人達だ。もしかしたらあれがあの世だったのかもしれないなと思う今日この頃。
大好きだった祖父母に会えたのは嬉しかったけどね。
↓臨死体験!次ページ↓
1994年10月末、バイク転倒で 脳挫傷による、1ヶ月の意識不明、左半身不随と
左肘複雑骨折・左鎖骨単純骨折・記憶損失等の重傷を経験しました。
その時、経験した?事なんだけど アレは、夢なのかボケでなのか今でも判らないが
今も心にくっきりと残ってる。
そうアレは・・・
ふと、気が付くと何故か自分は川原に居た。
そこは、広かったけど、特別キレイじゃなかったけど、その河の向こう岸には
緑がいっぱいだった。
そこは、以前モトクロス・バイクの練習をしていた、鬼怒川の河川敷だと思ってた。
でも、物凄く人気の無い、淋しい場所だった。
なんだか 無性に、寂しさがこみ上げて来てた。
とてつもない 寂しさで誰かと、なんでもいい話したかった。
まるで 永遠の様な、時間を過ごした気分だった。
アマリの寂しさで、涙がこみ上げてきて思わず泣いてしまった。
そんな時 1人の老人が、こちらへ歩いてくる。
近くまで来た時、不意に沸き上がる親しみで、右腕を老人の肩へ・・・
今思うと何故知らない人の肩へ腕を回したりしたのだろうか?不思議でたまらない。
「こんな所で何してんだよ!」なんて言ってしまったりした。
二言三言話していると、急に老人「無礼者!」と言って左わき腹へ 、鋭く蹴り上げられました。
刺す様な猛烈な痛みが、わき腹を襲う。
意識回復の後、解かった事だが、左肋骨骨折による、痛みを感じていただけかもしれない。
その後、何故か親友の祖母ちゃんに、会って話をしてると、不意に
祖母ちゃんって、もう亡くなってから十数年経っている事を思い出す。
その途端自分の最後を覚悟した。
でも 僕の人生って「ハァ~ こんなもんか」と、ガックリしてた。
そもそもの原因は、バイクによる転倒が原因でしたが
事故により記憶喪失になったんで、何故そこにいたのか、何故転倒してしまったのか覚えていないのですが
転倒の瞬間だけは、今でも覚えているんです。
転倒していく自分と、急速に近づいて来る路面を見て、レース経験の有る僕は「あぁ、死ぬなこりゃ!」
と半分諦めていたんです。
それが、30日の意識不明に繋がって、臨死体験になったと思うのです。
↓次ページへつづく↓
しかし 何故まだ、生きていられるのかと言うと、その瞬間に
もう一度生きたい! 生きて楽しみたい ! と、強く・強く思ったんです。
人は、死にたくないという想いもそうですが、「もう一度、生きたい!楽しみたい」という想いの方が
生存率が高いのでは? と思うのです。
そして この事故に遭ってから、沢山の人の優しさに触れ、助けられたのが幸せでした。
事故以前は、人との触れ合いは、それほど意識して好きだとは、思って無かったのです。
この臨死体験をし、多くの人の優しさに包まれてから、僕は人の触れ合いが好きになったんです。
確かに 変な人も多く居ますが、決してそんな人ばかりじゃ無いはずです。
そんな人より、もっと多くの人達が「いい思い」「嬉しい思い」をさせてくれるはずだと思っています。
だから 今まで(事故以前)以上に、僕は人が好きになりました。
復職後から始めたネットでも、多くの人の優しさに触れさせてもらい
今を生き長らえさせてもらっています。
僕がいろんな人達から、頂いた多くの優しさを、今度はいろんな人にお返し しなければと
思いながら、なかなか返せない自分に苛立ちを隠せない毎日をおくってます。
この臨死体験という普通では無い、体験をして、感じる物の多くは
「人は、程度の差に違いは有るこそすれ、全て皆優しい。」という事。
その差は、全て生活環境のせいだと思うのです。
だから 僕は、人として人からされて嫌だと感じる事は、しない!
人からしてもらって嬉しいと感じる事は、しよう!と努力してます。
(まだ 出来ない事の方が多いけど・・・)
今 またあそこに行って同じ後悔をしたくないから、出来る限り 思いっきり皆と楽しもうと思ってます。
*人は、死ぬと河川敷(三途の川)に行くというのは、本当かどうかは今でも解らない。
けど 僕が行った河川敷というのは、そういう話しを小さい頃から聞いていて
深層心理の記憶で、川に行った のではないかと思ってる。
あの老人は、仏壇の仏像にソックリだったから
あれが神様の仮の?姿だったのじゃないか?と思う。
でも 神様が、蹴るか? とも思い出しながら、笑ってます。
でもこれが 僕が人として生きていく為に必要な経験だったと、思う様になりました。
そして改めて感謝しています!
ボクが怪我をして意識不明の時に、主治医から意識の回復は10%と母に伝えられていたのに、
母は諦めずに看病をしてくれ、そして幼馴染の親友も、離れた病院まで遠路遥々と来てくれて、
意識の無いボクに、意識が必ず回復すると信じ、30日間も話し掛け続けてくれていました!
その暖かい心に感謝しています!
彼は本当に大切にすべき親友でした♪
引用元:http://nobunaga.biz/strange/traffic-accident-2.html、http://jonny.click/kyougaku/31876、http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sumire/9506/rinsi.html