生前退位が近づく平成の天皇陛下ですが、空いた時間は何に当てられるのか話題になりました。
ご友人によると趣味には麻雀という想像し難いものまでw
かなりお強い事実も!?
天皇陛下、麻雀がお強い?
「生前退位」が近づき2018年の12月下旬には平成の世が終わるという線がかなり濃厚になってきていますが、そこで話題に上がったのが天皇陛下が時間に余裕ができたら何をするのだろうと言う話題でした。
そこで陛下の学習院大学時代の友人で現在ジャーナリストの橋本明が陛下の趣味を明かしました。
その中の1つにはまさか天皇という言葉からは想像もできない「麻雀」が?
賭博などのイメージも強いぶんこれはかなり意外ですね、、、
また皇室ジャーナリストの神田秀一はこう語りました。
「陛下は大学時代に麻雀を覚えられ、友人や侍従たちを相手に楽しまれることがありました。皇太子時代の1953年にヨーロッパを訪問されたときには、船上で麻雀に興じられました。打ち筋は手堅く、危険を察知するとすぐにおりるという、“大勝ち”しないかわりに“大負け”もしないというものだったそうです」
船上で麻雀って、、、
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ちょっと漫画やアニメの世界のようにも感じますね!笑
手堅いお強さということは伝わってきましたが、もし陛下と一局となった場合、、、
陛下に勝っていいものなのでしょうか、、、?笑
普通に考えたら譲歩してしまいそうなところですよね、笑
もしかしたら天皇陛下、麻雀強い説は陛下に勝ってはいけないという心持ちからかもしれませんね、、、
意外な趣味をお持ちで世間を賑わせましたが、実は陛下以外にもかなり麻雀の強い意外な方がいました。
ムツゴロウ、麻雀伝説
まさかこの人が麻雀?と思う方も多いと思うのですが、世間一般では知られていないだけで麻雀界では知らない人はいないとされるほど有名なのがこの人、「ムツゴロウさん」笑
どれくらい強いかというと、日本プロ麻雀連盟には将棋などと同じく強さを示す段位と言うものが存在し、その最高の段位が「9段」。
しかし、ムツゴロウさんは常軌を逸した強さのため9段を超えて10段と言ってもいいほどと言われているそうです!笑
その10段の異名から「十段戦」というタイトル戦まで新設されてしまうほど、笑
ただただ動物をかわいがっているおじいさんではなかったんですね!
ただこうなってくると、天皇陛下とムツゴロウさんではどちらが強いのかが気になるところです、、、
生前退位の後、夢の共演があることを願いましょう!
陛下のお人柄エピソードがコチラ↓↓
陛下には、そのお人柄が垣間見える印象的なエピソードが沢山あります。その一部をご紹介したいと思います。
1. 雨の日も顔が見えるようにとビニール傘を
2011年7月に東日本大震災の復興状況の視察とお見舞いに岩手県の被災地を訪れた陛下。あいにくの雨の中、従業員全員が屋外に整列して出向かる中、宮内庁職員がいつもお使いの黒い大きな雨傘を差し出すと小声で何か指示を出されました。職員が急いで取りだしたのは透明のビニール傘。雨の中待っていた人達の為に、お顔がよく見えるようにとのご配慮でした。
陛下がビニール傘と出会ったのは2010年の事。雨の中の植樹祭でメディアからよく見える様にと急遽、県の関係者がビニール傘を用意したところ「雨でも顔がよく見える」と気に入られ、それからビニール傘を車に準備なさっているのだそうです。
2. 歴代天皇で初めて床に膝をついて被災者をお見舞い
1991年7月、長崎県の雲仙普賢岳噴火の避難所を訪れた際、歴代天皇で初めて床に膝をついて被災者とお話されました。実は、膝をついて被災者と直接話をするのは、陛下が皇太子時代に始められた事。それまでは天皇陛下が国民の前で膝を曲げることはありえませんでした。これ以降、皇后陛下や皇族の方たちも、被災地慰問の際にはこれにならっています。
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3. 障害者福祉を大きく前進
皇太子時代に名誉総裁を務められた1964年の東京五輪の後に行われたパラリンピック。「このような大会を、国内でも毎年行なってもらいたいと思います」と述べられた事がきっかけとなり、翌1965年から国体に合わせて身障者スポーツ大会が開催されるようになりました。
2015年10月には、太陽の家サンスポーツセンターのトレーニングルームをご視察になさった際「ちょっとやりましょうか」と仰ると、スーツのままラケットを持つと、パラリンピック目指している宿野部拓海選手と卓球でラリーをご披露して、周囲を驚かせるというお茶目な一面も。
昭和35年、殿下に初のお子さま、浩宮さまが誕生。その後の会見で殿下は「親子三人、川の字になって寝るような家庭をつくりたい」と話され、皇室の慣例になかった「親子同居」を決意された。
「親子3人が川の字になって寝るような家庭をつくりたい」と話され、皇室の慣例になかった親子同居に踏み切りました。そして平安時代から続いた乳人制度を廃止。それまでの宮中のしきたりでは、親子別居が当然だったのです。そして子育ての様子を公開されます。「開かれた皇室」として、その存在が一気に身近なものとなりました。
また、天皇家の長女・紀宮さまと東京都職員黒田慶樹さんの結婚式と披露宴にも天皇陛下、皇后両陛下はじめ皇太子ご夫妻、秋篠宮ご一家らと揃って出席されました。天皇陛下が民間の結婚式と披露宴に出席するのも異例な事でした。
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5. 秋篠宮さまを池に!
教育係を置かず「子供の教育は極力自分たちで」と話され、教育熱心な事でも知られている今上陛下。秋篠宮さまがと親しい記者、江森 敬治さんの著書『秋篠宮様』で紹介された有名なエピソードが、。小学生の時にペットのテンジクネズミを「水の中で泳ぐかも?」と思って庭の池に入れたところ、冬だった事もあり泳ぐどころが心臓マヒで死んでしまいました。
ちょうど通りかかられた陛下に「何をしている?」と聞かれ「泳がしたら死んじゃった」と答えると、次の瞬間、秋篠宮さまは陛下によって池に投げこまれてしまいました。「何よりも大切な命の重さ」を教える陛下のスパルタなエピソードです。
6. 昼食は基地のカレーで
陛下はカレーライスがお好きだそうです。1964年1月の冬季国体の時に陛下が召し上がった富士屋ホテルのカレーは、その後行列のできる“名物メニュー”になりました。
実は、東日本大震災直後、宮城県にお見舞いのため行かれた際にも『昼食は基地のカレーで』とおっしゃったそうです。また、1991年の長崎県・普賢岳噴火のお見舞いでも、陛下は昼食はカレーライスでした。その理由は、カレーがお好きものはもちろんですが、カレーなら食材が入手しやすく、作り置きもできるのでスケジュールに合わせて調理をしなくても大丈夫なのです。被災地に負担をかけないようにとのお心遣いから「カレーで」を召し上がっているのだそうです。
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7. 自分たちが履く訳には…とスリッパを脱がれる
東日本大震災で各地を訪問なさって時には、避難所によってはまだまだ物資が足りない状況でした。宮城県のある体育館では、スリッパが用意できたのは両陛下に履いていただく2足分だけ。
すると、それに気がつかれた陛下はいったん履かれたスリッパを脱がれたのです。被災者の方々が誰も履いていないのに、自分たちだけが履くわけにはいかないという思いだったのでしょう。
実はこれは初めての事ではなく、阪神淡路大震災の慰問の際にもスリッパを履かず膝をついて被災者の方とお話しなさっている写真が、海外メディアに取り上げられ大きな話題となりました。
8. 30分ずっと座らずに手を振っていた
東日本大震災の時の慰問の時の事。マイクロバスで移動なさっていた陛下は、近隣の住民たちが沿道に立って手を振っている事に気がつくと、ご自分のお姿が住民によく見えるようにと立ち上がって手を振り始められたのです。
驚いた周りの人たちが『お座りになった方がよろしいのではないでしょうか』と申し上げても『皆が出迎えてくれているので手を振らなければなりません。だからいいのですよ』とお答えになります。そして道もまだ補修されておらず安定の悪い揺れるバスの車内で、背もたれなどにつかまりながら、30分間ずっと手を振っておられたそうです。
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9. 計画停電に合わせて自主停電を行う
2011年の東日本大震災に伴う計画停電の際は、皇居がある千代田区は対象外地域でした。しかし「大勢の被災者、苦しんでいる人たちがおり、電源すらない人もいる。私の体調を気遣ってくれるのはありがたいが、寒いのは厚着をすればいいだろう」とおっしゃり、停電時間に合わせ皇居の電源を落としました。また、計画停電の期間が終わった後も、しばらくこの自主停電は続けておられました。
10. 「これは駒野選手のサインですね」
芸能やスポーツにも精通しておられる陛下。2010年6月の南アフリカW杯にてベスト16という結果を残したサッカーの日本代表の代表監督・岡田武史さんが皇居に招かれた時のこと。岡田さんらから日本代表選手のサイン入りユニフォームを渡されると、真っ先に「これは駒野選手のサインですね」とおっしゃいました。実は、日本時間では深夜の試合にもかかわらず、天皇陛下・皇后陛下はテレビで試合をご覧になっていたのだそう。この一言に、岡田さんは、パラグアイ戦でPKを外した駒野選手への配慮を感じたそうです。
また賭博問題で日本相撲協会が天皇賜杯の表彰を辞退した事で、涙を流して悲しんだ白鵬を気遣い書簡を届けられた事も。陛下がこの様に一人のスポーツ選手に向けて書簡を送るのは、異例の事でした。
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11. 観客と一緒にウェーブを
1998年の長野パラリンピックでは、アイススレッジスピードレース男子女子1000メートルをご観戦中のエピソード。製氷中の会場の観客席でウェーブが起こりました。しかし、何度やっても両陛下の少し前あたりで波が止まってしまいます。そして左手にいる子供たちが心配げに両陛下を見つめている事に気がついた皇后陛下は、陛下に許しを得ると、両手を高らかに掲げました。
12. ちょっといたずらな一面も
取材のための新聞記者たちと一緒に山に登られた時のこと。同行した新聞記者がうっかり間違えて、陛下を「おとうちゃん」と呼んでしまいます。恐縮する記者でしたが、そのあとその記者の背後に突然現れると「おとうちゃんはここにおりますよ」と冗談めかしておっしゃってびっくりさせたことがあるそうです。
13. 皇后陛下への深い愛情
2013年12月23日の80歳の誕生日に際する記者会見にて「天皇という立場にあることは孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています」と皇后陛下への感謝と愛情を表現されました。
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14. 相手としっかり向き合われる
春と秋の年2回行われる園遊会では、陛下にお声掛けいただいた人たちはみなさん一様に「自分のことを本当によく知っていらして驚いた」と言います。陛下は事前に丁寧に下調べをされ、参加者の事をしっかり理解していらっしゃるのです。
15 . 国民の幸せを想い祈り続ける
国事行為、海外の賓客おもてなし、被災地ご訪問など報道される仕事以外に、実は国民の眼に見えないところで行われる祭祀をご存知でしょうか。国民の幸せのための祈りは皇室の私的行事と位置づけられいるため、報じらる事がほとんどありませんし、だからこそ多くの国民はそれを知りません。
引用元:https://vipper-trendy.net/tennoh-majan/ http://spotlight-media.jp/article/312098495011562477