【閲覧注意】女性がジェットコースターでまじミンチ…あのエキスポランドの全貌が悲惨過ぎる…※画像あり

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12月初め

 湊伸治の母親・ます子が二階にあがり、渡邊泰史と一緒にいた被害者に対して「どうしてここにいるか」を尋ねるが、被害者は答えず。翌日 午後7時過ぎ 湊ます子が湊伸治の部屋のぞくと被害者と小倉譲がいたので、もう一度、すぐ帰りなさい。お父さん、お母さんが心配しているから」と言ったのだが、被害者は動かなかった。(脅されていて動けなかった)

 

12月初め午後4時頃

 少年達が夜遊びに疲れて、湊の家で昼寝をしていたすきに被害者は、二階から階下の居間に降りて110番したが、そのことを宮野裕史に発見され、暴行を受ける。警察からの逆探知は宮野が出て「何でもない。まちがいです」と返事をした。

 被害者の行為を裏切られたと感じた少年達は、以後被害者に対して顔面を殴ったり、足首にライターのオイルをかけて燃やすというリンチを繰り返して行うようになった。

これらによって出来た怪我等により、少年たちは、ますます被害者を解放できなくなるとともに、火傷が化膿して、放つ異臭により、被害者を疎んじるようになり、その処分にこまるようになった。

 

12月初旬 

 宮野が小倉、湊、渡邊を連れて、宮野の所属する暴力団の上部団体の忘年会に出席、宮野は組員達に「会長が自分で、小倉譲が組織本部長、湊伸治は事務局長」と紹介。

 この頃からシンナーを売り出す。

 

12月中旬

 被害者を輪○した湊伸治の中学時代の友人に対して、些細なことから宮野、小倉、湊でリンチを加え、3週間以上入院する大怪我をさせた。

 

昭和64年1月4日午前6時30分

 宮野、小倉、湊、渡邊で被害者に対してリンチを始めた。顔面にろうそくを垂らしたり、次々と顔面を殴り、被害者は血だらけの状態となった。更に1.7キロもある鉄製のアレイを宮野が持ち出し、渡邊が被害者の腹に落とした。

 

 リンチが終わったのが午前10時ころで、その後、被害者が逃げないように足をガムテープでぐるぐる巻きにすると4人でサウナに行った。宮野は、後に「ひょっとしたらあぶないんじゃないか、死んでしまうんじゃないかという気持ちが出てきたと思うんですが、鉄の棒で殴っても動かないんで」と述べている。

 

1月5日昼過ぎ

 湊の兄から小倉に「被害者の様子がおかしい」と電話がかかり、宮野、小倉、湊で駆けつけて見ると被害者は敷きっぱなしの布団で冷たくなっていた。

 

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