サンサーラ速報❗️

【涙腺崩壊・厳選!!】何度みても泣ける話 まとめ③

 

【タスキ】

小さい頃、よく親父に連れられて街中を走ったものだった。 

生まれた町は田舎だったので、交通量が少なく、 

そして自然が多く、晴れた日にはとても気持ちのいい空気が漂っていた。 

親父は若い頃に箱根駅伝に出たらしい。 

だから走る事が大好きで、息子にもその走る楽しさを教えてあげたかったのだろう。 

もともと無口だった親父も、走ってる時だけはずっと俺に声をかけつづけていた。 

普段の無口な親父がなんとなく怖かった俺は、その時だけは親父が好きだった。 

そしてお袋が作ったタスキを使って、駅伝ごっこをしてりしてた。 

今思えば、親父はまだ青春時代に生きていたのだろう。

中学に入った俺は、当然陸上部に入部した。 

レースでは結構いい成績で、部活内でもトップレベルだった。 

毎回応援に来てくれる親父は、俺がいい記録を出した日には必ず酒を飲んでいた。 

そして真っ赤な顔して上機嫌で、俺に毎回同じ事を言うんだ。 

 

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「お前と一緒に、箱根走りたかったなぁ」って。

高校にいっても陸上は続けた。 

でも思うように記録は良くならず、さらに勉強についていけないのもあってか 

俺はいつもイライラするようになった。 

勉強の事には口を出さないくせに、陸上のことばかり気にしてくる親父の事を、 

鬱陶しく感じてしまうようになるのに時間はかからなかった。 

親父が期待してるのは知ってたから、余計に顔を見たくない気持ちだったのだろう。 

反抗期、というものだったのかもしれない。

そんなある日、その日のレースもいい記録は出なかった。 

理由はわかっていた。 

数日前に定期テストの追試のために、勉強を夜遅くまでしていたから体調を崩していたからだ。 

一体自分は何をやっているのか、その時の俺は本当に悩んでいた。 

そして家に帰って、部屋のベッドでひとり天井を眺めていると親父が入ってきた。

レースの事で何か言われるのかと、正直顔も見たくなかった。 

親父は俺の横に座って、長い沈黙の後にこう言った。

「なぁ、お前何の為に走ってるんだ? そんな眉間にしわ寄せてさ。 

 父さんはな、お前が・・・」

 

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親父がそこまで言いかけたところで俺の気持ちが爆発した。

「うるせえ!出て行けよ!!親父には俺の気持ちなんかわかんねえだろ!! 

 もう嫌なんだよ!親父の顔を気にしながら走るのは! 

 勉強だってしなきゃいけないんだ!親父の期待は俺にとって重いんだよ!!」

そう一気に言い切ってしまった俺を、親父は驚いた顔をして眺めていたが、 

しばらくすると悲しそうな顔をしながら俺を思い切り殴った。 

それからはむちゃくちゃだった。 

お袋が止めに入るまで俺と親父は大喧嘩をした。

それ以来、親父と気まずくなってしまい、話す事もなくなり、 

そしてすぐに俺は陸上部を退部し、走るのをやめた。

でも別に成績が良くなったわけでも、イライラが消えたわけでもなく、 

毎日悶々としていた。

 

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俺が部活をやめて2ヶ月くらいたった頃だ。 

親父が急に倒れ、病院に運ばれた。 

検査結果は末期の癌で、あと数ヶ月の命だろうということだった。

俺はショックを受けたが、まだ親父とのわだかまりがあり、 

お袋に何度も誘われたが、見舞いにはなかなか行けずにいた。 

家と仕事先と病院とを行き来するお袋を見て、苦労をかける親父に腹が立ちすらした。 

そうしてる間に体力は徐々に落ちていって、 

親父はいつ死んでもおかしくないほど弱ってきた。

そんなある朝、学校に行く前にお袋が思い出すように話し始めた。

俺が高校に入ってからも陸上を続けた事を親父はすごく喜んでいたらしい。

だから俺の記録がなかなか伸びなくて苦しんでる時、親父も同じように悩んでいたと。 

そしていつか俺が走るの事を嫌いになってしまうんじゃないかって、 

すごく心配してたらしい。 

 

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なのにあの日俺と喧嘩したあと、一切俺が走らなくなったのに、 

 

なにも言わなくなったのだと。

「あの人も頑固だからねぇ」とお袋は付け足して朝食の片付けをし始めた。 

俺はその話に何か引っかかるものを感じていた。 

学校に行ってもずっと気になり、勉強どころではなかった。 

そして休み時間、友達が「あの先生のせいで数学が嫌いになった」と言ったとき 

俺は気付いてしまった。

そうだ、俺はあの日、親父に言ってしまった。 

親父のせいで走るのが嫌いになったと、そう言ってしまったのだ。 

誰よりも走るのが好きで、そして誰と走るよりも、俺と走る事が好きな親父に。

俺は授業そっちのけで病院に走った。 

道路には雪がつもり、何度も転びそうになったけど、 

もうしばらく走ってなくて心臓が破裂しそうなくらいバクバクいってたけど、 

それでも俺は走った。 

走ってる間、あの日俺を殴る前に見せた悲しそうな親父の顔が何度も頭に浮かんだ。

病室に行くと、変わり果てた親父がいた。 

 

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ガリガリに痩せて、身体からはいくつかチューブがでて、 

大きく胸を動かしながら、苦しそうに息をしていた。

走ってぜぇぜぇいってる俺を見つけた親父は、 

「走ってきたのか」 

と消えるような声でいった。 

うなずく俺に、親父が「そうか」と言いながらベッドから出した手には 

ぼろくさい布が握られていて、それを俺の方に突き出し 

俺の手にぼろくさい布を渡してきた。

それは小さい頃のあのタスキだった。

「なぁ、走るのは…楽しいだろ」親父は笑いながら言った。

その後すぐに親父の容態は急変して、そしてまもなく死んでしまった。 

葬式なんかで慌しく物事に追われ、ようやく落ち着いて部屋に戻った時、 

机の上に置きっぱなしにしていたタスキを見つけた。

親父の夢は俺と箱根を走る事だった。そして俺にタスキを渡す事だった。 

もちろん一緒に箱根なんて走れない。それは親父が生きていても同じだ。 

でも親父は確かに、俺にタスキを渡した。 

 

 

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なぜだか涙があふれて止まらなかった。

そうだ俺は確かに、タスキを受け取った。

冬が明けると俺はまた走り始めた。 

小さい頃に親父と走ったあの道だ。 

記憶にあるのと同じ木漏れ日、同じ草のにおい、同じ坂道。 

 

ただ違うのは隣に親父がいない事。

いつかこの子に、このタスキを渡したいと思っている。

 

 

【おにぎり】

もう20年以上前の事でオンボロアパートで一人暮らしをしていた時の事だ

安月給で金は無かったが無いは無いなりに何とか喰ってはいけた。

隣の部屋には50代くらいのお父さんと小学2年生の女の子が暮らしていた

 

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お父さんとは会えば挨拶する程度だったが娘の陽子ちゃんは仕事から帰ってくると

いつも共同スペースの洗濯場で洗濯をしていたので。会う機会も多く良く話はした

いつだったか、夕方「今日もお父さん遅いの?」「うん」などと会話をしてたら

俺の腹が「グーー」「あれ?お兄ちゃん、お腹空いてるの?」「まあね」

「ちょっと待ってて」と言うと部屋に入り、まもなくして 形の「いびつ」な

おにぎりを持ってきてくれた。味も何も無いおにぎりだったけど俺は「ありがと」

と言って、たいらげた。

それから彼女と会わない日が続いた。どうしたのかな?と思う程度で気にはしなかった

ある日、仕事から帰ると救急車が止まっていた。何だ何だと覗いてみる

「何かあったんですか?」駆けつけてた大家さんに聞く。「無理心中だよ」

 

 

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「まいったよ、よそで死んでくれれば良いのに」と吐き捨てるように言う

やがて救急隊が担架を運んでくる。顔までかけられた毛布がすでに死んでいるのを物語る

あれ?担架に納まる身体が小さい。子供?ま・さ・か・・・。

後から判った事だが、お父さんは病気がちで仕事もできず。ガスも水道も止められていたらしい

最後の電気が止められる時、事情を聞きに市役所の職員が大家さんと訪問して

事件が発覚したそうだ。食べる物も無く米どころか食品は何も無かったそうだ

「あれ?お兄ちゃん、お腹空いてるの?」その言葉が脳裏に浮かんでくる

あの時すでに食べる物はもう無かったんじゃないのだろうか?

たまたまお腹を空かしてた俺を、可愛そうと思い、あの小さな手で一生懸命おにぎりを

作ってくれたんじゃないだろうか?自分の食べる分も無いのに・・・・。

 

 

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自然に涙がこみ上げてきた。やるせなかった。

その後、間をおかず引越ししたが。今でもあのアパートの近くを通ると思いだす

 

【あの子が教えてくれたもの】

 

子供が外に遊びに行こうと玄関を開けたとたん、

みはからっていたのか猫は外に飛び出していってしまいました。

そして探して見つけ出した時にはあの子はかわりはてた姿になってしまった。 

私はバスタオルにあの子をくるみその場で泣き崩れてしまった。

自転車で通りすぎる人、横を走る車、

みんなが止まり「どうしたの?大丈夫?」と声をかけてきてくれた。

でも、その声にも答えず私は声をあげてあの子を抱きかかえて泣いた。

まだ体があたたかったことが、悔しかった。

 

 

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毎朝、あの子はきまった時間にパパを起こし、えさをねだるのが日課であった。

パパの眠い目をこすりながらも、おねだりするあの子にえさをあげてから朝の一服をする。

あの子が死んだ次の日の朝、パパはいつもの時間に起きてきた。

そして、ソファーに座りたばこに火をつけた。今日は足にまとわりついてくるあの子がいない。

パパの背中がさみしそうで、また涙がこみあげた。

あの子はいつも長男と一緒に二階に上がり長男のベットで一緒に寝ていた。

あの子が死んだ時、呆然としていた長男が、ベットで夜泣いていた。

私は声をかけてあげることができなかった。

親として悲しんでる子供をなぐさめてあげなければいけなかった。

でもその長男の姿を見た私はその場でうずくまって声を殺して泣き崩れてしまった。

 

 

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食事の用意をしていても、掃除をしていても、涙が勝手にあふれてくる。

泣いている私に息子は、「次はどこ掃除する?手伝うよ」とやさしく声をかけてくれた。

「ママが隊長で、僕は副隊長になって掃除しようっ!」

泣きっぱなしでぶさいくになっている私は、

「隊長ばっかで部下がいないじゃん」とぐしゃぐしゃの顔で笑った。

あの子が死んでから初めて笑った。

くよくよしていたらいけないことを息子が教えてくれたようでなさけなかった。

今日で、もう泣くのは終わりにしよう。

あの子とのいっぱいの思い出を胸にしまい、今日からいつものママにもどるからね♪

 

 

引用元:https://matome.naver.jp/odai/2137904457627642001