「大雨の日」
僕は格闘技をやってます。僕には彼女がいます。彼女は僕の身を心配して、ボロボロに
なって現れた僕をみて、『どうしてボロボロになってまで続けるの?』と問いかけられま
す。僕は答えません。
それはある大雨の日に僕が僕と約束したからだ、って。
僕は普通の大学生で、大した取り柄もなく、頭だって良くないし、お世辞にもカッコいい
なんて言える男じゃない。だからせめてアイツが、自分の彼氏は強いんだって自慢出来る
くらいの男になりたい。
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友達に僕の事を馬鹿にされて喧嘩してしまい、その事を友人経由で知った僕が『ごめん』
と言って彼女を抱きしめると、彼女は泣き出してしまった。その時だった。どんなにボロ
ボロになってでも僕は強くなる事を、大雨の日に心に決めた。
こんな事でしか自慢にしてあげられなくてごめん。それと、支えてくれてありがとう。も
う少しだから、待っててくれ。体が完全に壊れる前には、きっと自慢できる男になってる
からさ。
その日まで僕はあの大雨の日を忘れない。
「父親として最高の愛をありがとう」
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北海道湧(ゆう)別(べつ)町で暴風雪の中、凍死した同町の漁師、
岡田幹男さん(53)は、長女の夏(なつ)音(ね)さん(9)の体の下に両手を回し、
娘の体を守るような状態で発見されたことが4日、分かった。
夏音さんは低体温症だが命に別条はない。父親が10時間以上も暴風雪から守り、体温で温めたことが娘の命を救った。
命を奪った今回の暴風雪は、強風によって雪が巻き上げられ視界が奪われる「ホワイトアウト」という現象が起きた可能性があるという。
岡田さんは3日朝、車から約300メートル離れた農業用倉庫前で、
あおむけに横たわった夏音さんに覆いかぶさり、凍死しているのが見つかった。
両手を夏音さんの体の下に回して抱きしめ、寒さから守るような状態だった。
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捜査関係者によると、発見時に岡田さんはすでに意識がなく、
岡田さんの下にいた夏音さんはうめき声を上げ、その後泣き出したという。
地元消防団員は「体温を分け与えるようにかぶさっていた。夏音さんが苦しくないよう、
呼吸する隙間を空けたままの姿勢だった」と話す。
岡田さんは、車の燃料がなくなり友人の家まで歩いて行くと知人に電話。
その後、行方不明となり、知人が現場最寄りの地元消防に通報した。
だが、隊員が出払っていて、さらに約7キロ離れた場所の他の救助隊が出動していた。
低体温症に詳しい苫小牧東病院(北海道苫小牧市)の船木上(かず)総(さ)副院長は
「風雪から守られたこと、父親の体温に保温効果があったことが良かった。亡くなると体温は下がっていくので、もう少し救助が遅れたら娘も危険だった」と話す。
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「一個上のおにいちゃん」
三歳ぐらいの時から、毎日のように遊んでくれた1コ上の兄ちゃんがいた。
成績優秀でスポーツ万能。しかも超優しい。
一人っ子の俺にとって、ほんとに兄ちゃんみたいな存在だった。
小4の時、真冬にサッカーしてて
林に入ったボールを取って戻ってきたら兄ちゃんが倒れてた。
慌てて抱き起こしたら吐いちゃって
その時は風邪ひいてるって言われてバイバイした。
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しばらくして入院したって聞いて、病名も知らないのにお見舞いに行った。
退院できたけど学校には滅多に来なくなった。
外で遊んじゃいけないらしいんで、毎週土日は兄ちゃん家にくにおくんをやりに行った。
よく兄ちゃんのママンから「来てくれてありがとうね」って言われて
近所のオバチャンからは「○○君と遊んでるなんて偉いわね」って言われた。
言葉の意味が俺にはさっぱり分からなかった。
(はぁ?友達なんだから当たり前の事じゃないの?)
純粋にそう思えるぐらいバカなガキだった。
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しばらくしたら絶対良くなって、また外で遊べるって思ってた。
親にも兄ちゃんのママンにも、そのうち良くなるって言われたし。
ある日、やけに兄ちゃん宅に抜け毛が多いなって事に気付いた。
身長も俺のほうが上になったし、外に出ないから肌真っ白だし、腕も超細いし。
その事を親に話したら、脳腫瘍っていう難しい病気なんだよって初めて聞かされた。
兄ちゃんがあんまり長くないって事、なんとなく分かった。
それから急に顔合わせるのが辛くなった。
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遊びに行く機会が段々減っていって、最後は全く遊ばなくなった。
しばらくして、晩飯の時間のニュースで
「病気と闘う中学生」みたいな感じの特集に兄ちゃんが出てた。
見るのが嫌になってチャンネル変えた。親に思いっきりビンタされた。
結局会う事になったのは2年ぶり、兄ちゃんが棺の中に入った時だった。
兄ちゃんのママンから「何か言ってあげて」って、凄い優しい声で言われた。
俺が遊びに行かなくなってから、どんな気持ちで毎日家の中で過ごしてたんだろうって
そう考えたら胸が張り裂けそうになって、何も言葉にする事ができなかった。
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結局自分の事しか考えて無かった。もっと沢山会ってあげればよかった。
本当にごめんね。謝っても謝り切れないけど
あれからは身近な人を、いつでも大切にしようって思えるようになったんだ。
今年も線香あげに行くよ。
消防士の親父
オレの親父は、消防士だった。
いつなにがあってもおかしくない仕事だから、よく母に
「オレに何かあっても、お前らが苦労しないようにはしてる」
ってそう言っていたのを覚えている。
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親父はとてもあつい人間で、「情熱」って言葉が大好きだった。
口数の少ない親父が、久しぶりにオレたち息子に口を開いたかと思うと、「情熱だけは持ち続けろ」って「何かに本気になってみろ」ってそればっかりだった。
あの日、緊急要請が入って夜中の2時頃、親父は火事現場に向かっていった。
物音に起きて、部屋のドアを開けて見た親父の背中が、オレが親父を見る最後の機会になった。
親父は、火事で倒壊してきた建物の下敷きになって、病院に運ばれたものの、死んだ。
朝、母からそれを聞いた時、信じられなかった。
いつもみたいに、疲れた顔して帰ってきて、「母さんビール」なんて言う、そう思えて仕方なかった。
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でも、灰だらけになって眠る親父の顔を見て、一生目覚めないその顔を見て、それが現実だとわかった。
悲しくて、涙が止まらなかった。
でも、同時に誇らしかった。
親父は灰だらけでボロボロで、もう目覚めなかったけれど、あの日の火事では、全員救出できたそうだった。
最後まで、「人を助けるっていう情熱」を失わなかった。
他人から見ればただの一介の消防士にすぎないだろうけど、オレにとっては、最後まで最高にかっこいい親父だった。
そんな親父の最後が誇らしくて、何故かさらに涙が溢れた。
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あれから12年、オレは親父と同じ仕事に就いている。
何年も働いているが、今でも現場に向かう時は、怖い。
それでも、向かうことが出来るのは、オレがこの仕事に「情熱」を持っているからだ。
あの時、最後まで親父が持っていたように。
ありがとう、親父。
あんたの背中を見ていたから今、火の海に飛び込んでいける。
怖くても足を踏み出していける。
本当に、ありがとう。
誰一人死なせはしない。
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「父に会いたい」
自分は父の顔を知らない。
自分が2歳の頃、交通事故で死んだそうだ。
母に「お父さんの名前、なんて―の?」とか
「お父さんの写真、見して!」とか
「お父さん、メガネかけてたの?」とか聞いても、黙って首を振るだけだった。
父がいない分、母は毎日朝早くから遅くまで仕事をしていた。
酷いときには、1週間母を見ない日だってあったのだ。
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そんな時、面倒を見てくれたのが祖父母。
誕生日もクリスマスも、祖父母と一緒。
母とは土日に外出するくらいで、正直何を話したら良いのか全然わからなかった。
小学校のときは
「お母さんはカッコよくて、頭が良くて、仕事もすごい出来るんだ」
と、よく自慢していた。
でも、本当はそんな自慢なんていらなかった。
母とちゃんと話がしてみたかった。
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そんな時、いつも思うのが死んだ父。
父がいたら、母とも毎日話せた。
父がいたら、母がこんなに仕事をすることもなかった。
父がいたら、父がいたら、父がいたら…
そんな思いがひたすら溢れた。
祖父母は大好きだ。文字の書き方からきゅうりの切り方まで全部教えてくれた。
それでも、やっぱり…
母は父のことを教えてくれないだろう。絶対に。
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そんな小学生時代に終止符を打つように、母の再婚が持ち上がった。
小学校の卒業と同時に、県外に引っ越し、新しい父と母との3人で暮らすということだった。
実際、自分は本気で祖父母の所に残ることを考えた。
小学校の友達と離れるのは辛い。でも、それ以上に祖父母と離れるのが嫌だった。
それでも、母の涙に折れて引っ越すことになった。
その時はまだ知らなかった。
母のお腹には新しい父との子供がいた。
新しい父は妹が産まれるまでは優しかった。
しかし、妹が産まれた途端、がらりと変わってしまった。
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理不尽な怒り方ばかりしかしない。
母の前では優しいのだ。なのに、母がいないと口調も変わる。
それは2年経った今でもちっとも変わらない。
どうしようもなく、辛くなっても話せる人がいなかった。
先週、祖父母を訪ねたときに今まで教えてくれなかった父の墓を聞いた。
全てを話すと、祖父母はこっちに引っ越して来いと言ってくれた。
でも、それは出来ない。
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母にもその事実を話さなくてはいけない。母はきっと悲しむ。
今まで、母親らしいことをしてくれなかった母でも、母が悲しむのは見たくない。
そして今日。
祖父母から父の命日だと聞いていた日。
学校を休んで亡き父に会いに行きました。
父の墓は綺麗に掃除されていて、花も供えてありました。
「お父さん、自分はもうすぐ高校受験です。
今まで会いに来れなくてごめんなさい。
お父さんの顔は分からないけど、辛い時にはここに来ます。」
本当に父に会いたいと思った。
引用元:https://matome.naver.jp/odai/2137904457627642001