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【涙腺崩壊・厳選!!】何度みても泣ける話 まとめ⑥

 

「大雨の日」

 

僕は格闘技をやってます。僕には彼女がいます。彼女は僕の身を心配して、ボロボロに

なって現れた僕をみて、『どうしてボロボロになってまで続けるの?』と問いかけられま

す。僕は答えません。

それはある大雨の日に僕が僕と約束したからだ、って。

僕は普通の大学生で、大した取り柄もなく、頭だって良くないし、お世辞にもカッコいい

なんて言える男じゃない。だからせめてアイツが、自分の彼氏は強いんだって自慢出来る

くらいの男になりたい。

 

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友達に僕の事を馬鹿にされて喧嘩してしまい、その事を友人経由で知った僕が『ごめん』

と言って彼女を抱きしめると、彼女は泣き出してしまった。その時だった。どんなにボロ

ボロになってでも僕は強くなる事を、大雨の日に心に決めた。

こんな事でしか自慢にしてあげられなくてごめん。それと、支えてくれてありがとう。も

う少しだから、待っててくれ。体が完全に壊れる前には、きっと自慢できる男になってる

からさ。

その日まで僕はあの大雨の日を忘れない。

 

「父親として最高の愛をありがとう」

 

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北海道湧(ゆう)別(べつ)町で暴風雪の中、凍死した同町の漁師、

 

岡田幹男さん(53)は、長女の夏(なつ)音(ね)さん(9)の体の下に両手を回し、

 

娘の体を守るような状態で発見されたことが4日、分かった。

 

夏音さんは低体温症だが命に別条はない。父親が10時間以上も暴風雪から守り、体温で温めたことが娘の命を救った。

命を奪った今回の暴風雪は、強風によって雪が巻き上げられ視界が奪われる「ホワイトアウト」という現象が起きた可能性があるという。

岡田さんは3日朝、車から約300メートル離れた農業用倉庫前で、

 

あおむけに横たわった夏音さんに覆いかぶさり、凍死しているのが見つかった。

 

両手を夏音さんの体の下に回して抱きしめ、寒さから守るような状態だった。

 

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捜査関係者によると、発見時に岡田さんはすでに意識がなく、

岡田さんの下にいた夏音さんはうめき声を上げ、その後泣き出したという。

 

地元消防団員は「体温を分け与えるようにかぶさっていた。夏音さんが苦しくないよう、

呼吸する隙間を空けたままの姿勢だった」と話す。

岡田さんは、車の燃料がなくなり友人の家まで歩いて行くと知人に電話。

その後、行方不明となり、知人が現場最寄りの地元消防に通報した。

 

だが、隊員が出払っていて、さらに約7キロ離れた場所の他の救助隊が出動していた。

低体温症に詳しい苫小牧東病院(北海道苫小牧市)の船木上(かず)総(さ)副院長は

「風雪から守られたこと、父親の体温に保温効果があったことが良かった。亡くなると体温は下がっていくので、もう少し救助が遅れたら娘も危険だった」と話す。

 

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「一個上のおにいちゃん」

 

三歳ぐらいの時から、毎日のように遊んでくれた1コ上の兄ちゃんがいた。 

成績優秀でスポーツ万能。しかも超優しい。 

一人っ子の俺にとって、ほんとに兄ちゃんみたいな存在だった。 

小4の時、真冬にサッカーしてて 

林に入ったボールを取って戻ってきたら兄ちゃんが倒れてた。 

慌てて抱き起こしたら吐いちゃって 

その時は風邪ひいてるって言われてバイバイした。 

 

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しばらくして入院したって聞いて、病名も知らないのにお見舞いに行った。 

退院できたけど学校には滅多に来なくなった。 

外で遊んじゃいけないらしいんで、毎週土日は兄ちゃん家にくにおくんをやりに行った。 

よく兄ちゃんのママンから「来てくれてありがとうね」って言われて 

近所のオバチャンからは「○○君と遊んでるなんて偉いわね」って言われた。 

言葉の意味が俺にはさっぱり分からなかった。 

(はぁ?友達なんだから当たり前の事じゃないの?) 

純粋にそう思えるぐらいバカなガキだった。 

 

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しばらくしたら絶対良くなって、また外で遊べるって思ってた。

 
親にも兄ちゃんのママンにも、そのうち良くなるって言われたし。 

ある日、やけに兄ちゃん宅に抜け毛が多いなって事に気付いた。 

身長も俺のほうが上になったし、外に出ないから肌真っ白だし、腕も超細いし。 

その事を親に話したら、脳腫瘍っていう難しい病気なんだよって初めて聞かされた。 

兄ちゃんがあんまり長くないって事、なんとなく分かった。 

それから急に顔合わせるのが辛くなった。 

 

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遊びに行く機会が段々減っていって、最後は全く遊ばなくなった。 

しばらくして、晩飯の時間のニュースで 
「病気と闘う中学生」みたいな感じの特集に兄ちゃんが出てた。 

見るのが嫌になってチャンネル変えた。親に思いっきりビンタされた。 

結局会う事になったのは2年ぶり、兄ちゃんが棺の中に入った時だった。 

兄ちゃんのママンから「何か言ってあげて」って、凄い優しい声で言われた。 

俺が遊びに行かなくなってから、どんな気持ちで毎日家の中で過ごしてたんだろうって 

そう考えたら胸が張り裂けそうになって、何も言葉にする事ができなかった。 

 

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結局自分の事しか考えて無かった。もっと沢山会ってあげればよかった。

 
本当にごめんね。謝っても謝り切れないけど 

あれからは身近な人を、いつでも大切にしようって思えるようになったんだ。 
今年も線香あげに行くよ。

 

消防士の親父

 

オレの親父は、消防士だった。

いつなにがあってもおかしくない仕事だから、よく母に

「オレに何かあっても、お前らが苦労しないようにはしてる」

ってそう言っていたのを覚えている。

 

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親父はとてもあつい人間で、「情熱」って言葉が大好きだった。

口数の少ない親父が、久しぶりにオレたち息子に口を開いたかと思うと、「情熱だけは持ち続けろ」って「何かに本気になってみろ」ってそればっかりだった。

あの日、緊急要請が入って夜中の2時頃、親父は火事現場に向かっていった。

物音に起きて、部屋のドアを開けて見た親父の背中が、オレが親父を見る最後の機会になった。

親父は、火事で倒壊してきた建物の下敷きになって、病院に運ばれたものの、死んだ。

朝、母からそれを聞いた時、信じられなかった。

いつもみたいに、疲れた顔して帰ってきて、「母さんビール」なんて言う、そう思えて仕方なかった。

 

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でも、灰だらけになって眠る親父の顔を見て、一生目覚めないその顔を見て、それが現実だとわかった。

悲しくて、涙が止まらなかった。

でも、同時に誇らしかった。

親父は灰だらけでボロボロで、もう目覚めなかったけれど、あの日の火事では、全員救出できたそうだった。

最後まで、「人を助けるっていう情熱」を失わなかった。

他人から見ればただの一介の消防士にすぎないだろうけど、オレにとっては、最後まで最高にかっこいい親父だった。

そんな親父の最後が誇らしくて、何故かさらに涙が溢れた。

 

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あれから12年、オレは親父と同じ仕事に就いている。

何年も働いているが、今でも現場に向かう時は、怖い。

それでも、向かうことが出来るのは、オレがこの仕事に「情熱」を持っているからだ。

あの時、最後まで親父が持っていたように。

ありがとう、親父。

あんたの背中を見ていたから今、火の海に飛び込んでいける。

怖くても足を踏み出していける。

本当に、ありがとう。

誰一人死なせはしない。

 

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「父に会いたい」

 

自分は父の顔を知らない。

自分が2歳の頃、交通事故で死んだそうだ。

母に「お父さんの名前、なんて―の?」とか

「お父さんの写真、見して!」とか

「お父さん、メガネかけてたの?」とか聞いても、黙って首を振るだけだった。

 

父がいない分、母は毎日朝早くから遅くまで仕事をしていた。

酷いときには、1週間母を見ない日だってあったのだ。

 

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そんな時、面倒を見てくれたのが祖父母。

誕生日もクリスマスも、祖父母と一緒。

母とは土日に外出するくらいで、正直何を話したら良いのか全然わからなかった。

小学校のときは

「お母さんはカッコよくて、頭が良くて、仕事もすごい出来るんだ」
と、よく自慢していた。

でも、本当はそんな自慢なんていらなかった。

母とちゃんと話がしてみたかった。

 

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そんな時、いつも思うのが死んだ父。

父がいたら、母とも毎日話せた。

父がいたら、母がこんなに仕事をすることもなかった。

父がいたら、父がいたら、父がいたら…

そんな思いがひたすら溢れた。

祖父母は大好きだ。文字の書き方からきゅうりの切り方まで全部教えてくれた。

それでも、やっぱり…
母は父のことを教えてくれないだろう。絶対に。

 

 

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そんな小学生時代に終止符を打つように、母の再婚が持ち上がった。

小学校の卒業と同時に、県外に引っ越し、新しい父と母との3人で暮らすということだった。

実際、自分は本気で祖父母の所に残ることを考えた。

小学校の友達と離れるのは辛い。でも、それ以上に祖父母と離れるのが嫌だった。

それでも、母の涙に折れて引っ越すことになった。

その時はまだ知らなかった。

母のお腹には新しい父との子供がいた。

新しい父は妹が産まれるまでは優しかった。

しかし、妹が産まれた途端、がらりと変わってしまった。

 

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理不尽な怒り方ばかりしかしない。

母の前では優しいのだ。なのに、母がいないと口調も変わる。

それは2年経った今でもちっとも変わらない。

どうしようもなく、辛くなっても話せる人がいなかった。

先週、祖父母を訪ねたときに今まで教えてくれなかった父の墓を聞いた。

全てを話すと、祖父母はこっちに引っ越して来いと言ってくれた。

でも、それは出来ない。

 

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母にもその事実を話さなくてはいけない。母はきっと悲しむ。

今まで、母親らしいことをしてくれなかった母でも、母が悲しむのは見たくない。

そして今日。

祖父母から父の命日だと聞いていた日。

学校を休んで亡き父に会いに行きました。

父の墓は綺麗に掃除されていて、花も供えてありました。

「お父さん、自分はもうすぐ高校受験です。

 今まで会いに来れなくてごめんなさい。

 お父さんの顔は分からないけど、辛い時にはここに来ます。」

本当に父に会いたいと思った。

 

引用元:https://matome.naver.jp/odai/2137904457627642001