【驚愕の事実】サツキとメイを運んだネコバスの行き先に表示されていた言葉がヤバすぎる・・・
スタジオジブリの人気作品『となりのトトロ』。サツキとメイを家まで運んだネコバスがその後向かう先は!?
ネコバスの行き先は
スタジオジブリの代表作『となりのトトロ』。1988年4月に公開された作品ですが、未だに根強い人気のある作品です。
『火垂るの墓』との同時上映で、当時の興行収入は11.7億円。決して大ヒットではなかったものの、テレビで放映されてから人気に火が付きました。
2016年も11月4日の金曜ロードショーで放映され、なんと15回目の放送ながら平均視聴率は14.2%を記録しました。過去放送平均視聴率は20.3%となっています。
老若男女問わず人気の『となりのトトロ』ですが、その不思議な世界観から、都市伝説もささやかれるようになりました。
・サツキとメイは死んでいた
・後半、サツキとメイの影が薄くなる
・「メイ」と書かれたお地蔵さんが一瞬映っている
・トトロは、死期が近い人間、もしくは死んだ人間にしか見ることができない
・猫バスはあの世に繋がっている乗り物
・サツキとメイは母親に会ってない
・エンドロールは過去の回想シーン
・物語は、全てお父さんの妄想だった
ジブリの公式ブログは「メイちゃんが死んでいるという事実はない」とこれら都市伝説を否定しています。
サツキとメイの母親が入院している七国山病院のモデルとなったと言われているのは八国山にある新山手病院と言われていて、かつては結核患者のサナトリウムとして使われていました。
当時の結核は不治の病。そのことから、感染を避けるためサツキとメイは母親と会えないのは当然ですし、死期が近いイメージ=死神へと繋がってしまったのかもしれません。
では、猫バスはどこからやってきてどこに帰っていくのか?
猫バスはおでこの部分にある行き先表示が目的地によって変わりますが、ネコバスの行き先表示が話題になっています!
猫バスの行き先表示は次のように変わっていきます。
「塚森」→「長沢」→「三つ塚」→「墓道」→「大杜」→「牛沼」
そしてメイを探しに行く時には「めい」となり、二人がお母さんの病院へ行く時に「七国山病院」へと変わりました。
その後、サツキとメイを自宅に送り届け、行き先表示が「す」に変わります。
この謎を金曜ロードSHOW!公式Twitterが明かしています! その内容がコチラ!
「す」は「巣」だったんですね!
今日は営業終了!?
ネットの反応
・いわゆる回送ってやつねwww
・何回も観てたけど、はじめて知った。。。
・全然気づかなかったーw
・「し」の後、つまり死後の世界に行ったと言う解釈してた
巣にいる猫バスの様子は三鷹の森ジブリ美術館で放映されている
短編映画『メイとこねこバス』で描かれているそうです!
↓ネコバスの行き先「七国山病院」の「院」が逆さ文字で書かれていた理由とは?↓
・ねこバスの意味
・なぜ猫バスの行き先の文字が上下反対/反転になっていたのか
あと、余談ですが、都市伝説と個人的な解釈に関しても簡単に説明します!
どうして、
「院」だけ反対に書かれていたのでしょうか・・
▼「院」だけ逆さになっている
※文字が逆さになっているのもそうですが、
猫のバスなのにライトは全てねずみというところが
かわいいです(笑)
ねこバスの役割とは
金曜ロードショーで放送のジブリ作品の
「となりのトトロ」に関しては、
主人公達が既に亡くなってしまっている説や
物語に出てくるお父さんが全て妄想している説など
説がたくさんありますが、
個人的に、両方違っていると考えています。
まずはネコバスについて書く前に
いま一番有名な
トトロの都市伝説を簡単に解説しますね!
となりのトトロの都市伝説
※有名な都市伝説で
既にご存知の方も多いと思うので
知っていたら飛ばしてください。
主人公の「さつき」と「めい」がストーリーの途中で死んでいて
後半は幽霊として出てくるという都市伝説があります。
物語の途中で、
さつきを探しに行っためいが
いなくなってしまい、
めいの履いていたサンダルに似ているものが
池に浮かんでいることが発覚します。
物語の中では、
さつきがそれを見て「めいのサンダルではない」と断言するのですが、
都市伝説では、
これはさつきがめいが死んでしまったことがショックで
嘘をついていると言われています。
そして、
めいはいなくなってしまってから、
さつきはネコバスに乗ってから
「影」がなくなっているという指摘があります。
※正確には影がなくても問題なさそうなシーンしかないから
そう見えるだけだと思うのですが。
そして、
めいは本当に途中であの池で死んでしまい、
さつきはめいのいる世界にいくために
ネコバスにあの世に連れて行ってもらった
という解釈がなされています。
そして、最後のシーン、
お母さんが病院で
「そこの木でさつきとめいが笑っているような気がする」
というセリフがあったため、
二人は幽霊になってしまったが故に
姿は見えないというのです。
そういったことから、「トトロ」は
死期が近いもしくは死んでしまった人間にしか見えない死神で、
あのほんわかしたアニメからは想像もできないような
怖い存在だったという都市伝説が流れているわけです。
↓次ページ↓
筆者の解釈
ネコバスの役割と、
ネコバスの行き先が反対になっていた理由を説明するために
少し都市伝説とは違う筆者の解釈を書かせていただきます!
※結論だけ見たい人は次の見出しまで
飛ばしちゃってください!
私の解釈では
トトロは死神などではなく、
現実世界とは違う、いわゆる「裏」の世界に住む生き物で、
特定の人物にしか見えない生き物だと考えています。
※現実世界と裏世界の違うところはトトロや
まっ黒くろすけがいるかいないかくらいの違いで
見た目や場所が変わる訳ではありません。
※知っている方が限られますが、
DMC(デビルメイクライ)で言う
「リンボ」的な感じをイメージしてもらえると分かりやすいです。
そして、
「さつき」と「めい」は
現実世界と裏世界を行き来できる存在で
現実世界と裏世界の橋渡しになるような
存在でもあったのではないでしょうか。
たとえば、
トトロがさつき達の畑を魔法みたいなもので
一瞬で大きくし、巨木を出現させたとき、
お父さんは気づきませんでした。
しかし、
さつき達が吹く
オカリナの音はお父さんに聞こえていました。
これは、
木が大きくなっている現象=トトロたちの住む裏世界で起きていて
さつきたちのオカリナの音=現実世界にも届いている
のではないでしょうか。
さつき達は現実世界と裏世界をつなぐことができるため、
お父さんにはオカリナの音だけ聞こえたという解釈です。
そして、
次の日、現実世界に戻ってきたさつきたちは
大きな木が見えないということになったのではないでしょうか。
そういう風に考えると、
ネコバスに乗った時に
行き先の文字で病院の「院」が反対になっていたのは、
これから行く病院は現実世界の病院ではなく、
裏世界の病院という意味が込められていたんじゃないでしょうか。
調べたところ
文字を反対にすることは
「裏」や「反対」を意味することがあるそうで、
「裏」の病院ということで
裏世界の病院だったのかもしれませんね。
↓ネコバスの意味と行き先の文字が反転していた理由は次ページ↓
ネコバスの意味と行き先の文字が反転していた理由
私の解釈が前提ですが、
トトロの世界に「現実世界」と
その裏の世界である「裏世界」があったとして、
ネコバスの役割は裏世界での移動手段で、
ネコバスの文字が反転していたは
現実世界の病院ではなく、
裏世界での病院が行き先だったためではないでしょうか。
※文字を反転させることには「裏」や「反対」
という意味が含まれる場合があるそうです。
※私の解釈では
さつきとめいは現実世界と裏世界をつなぐことができる存在で、
そのため、最後にとうもろこしをトトロたちのいる裏世界から
父や母がいる現実世界へ贈ることができたんじゃないでしょうか。
そして、
現実世界に帰ってきて、
かんたやばあちゃん達と再会するという考えです。
余談:裏世界が見える条件は?
余談ですが、
トトロもまっ黒くろすけも
特定の人物にしか見えない裏世界の生き物だと
私は考えているのですが、
その特定の人物とはずばり、
「少女」ではないかなと考えています。
さつきとめいはもちろんですが、
最初のシーンで、おばあちゃんも昔
「まっ黒くろすけを見たことがある」
というようなことを言っていました。
そしてカンタにも見えていないことから
「少女」だけが見えるのかもれませんね。
さらに余談ですが、
まっ黒くろすけはトトロだけでなく、
「千と千尋の神隠し」にも出てきますよね。
そして、
「少女」である千尋は
妖怪の住む「異世界」にいってしまうのですが、
ここで千尋は、
まっ黒くろすけを目視できていますし、
蜘蛛の妖怪「かまじい」も真っ黒くろすけを見えているのは
彼自身が裏世界の住人だからではないでしょうか。
幼い「少女」だけが
異世界に干渉できるのかもしれませんね。
最後に
少し説明が雑になってしまったところもありますが、
皆さんはどう考えられますか?
少なくとも私は
トトロが死神などではなく、
異世界の住人だというように考えています。
そして、
この映画では、
こういった世界が子供時代には見えているかもしれないので、
子供の想像力のようなものを馬鹿にしないでほしい。
という意味が込められているのかもしれませんね。
※映画中に
さつきや、めいに対して
「トトロなんているわけない」と否定する
大人はいなかったと思います。
さすがに過大解釈かもしれませんが、
そういった内容だとしたら
楽しいですし、
大人になって改めてみたら
また違う楽しみ方ができますよね(笑)
あと、どうでもいいのですが、
影がなくなっているという指摘に関して、
私には影があるように見えますし、
後半はそもそも影がないと明らかにおかしいという場面自体が
少なかったと思います(笑)
さて、
今回は私の解釈が多くなってしまいましたが、
いかがだったでしょうか。
引用元:http://tsubuyakiziro.com/815.html
http://kurioro.sakura.ne.jp/ap528/