【圧力が原因だった!?】風見しんごの長女を轢き殺した犯人が報道されなかった理由
マルチなタレントして活躍する風見しんごさん。
風見しんごさんのプロフィール
名前:風見しんご(かざみしんご)
本名:大下義博(おおしたよしひろ)
生年月日:1962年10月10日
身長:169cm
出身高校:広島学院高等学校
最終学歴:成蹊大学工学部中退
事務所:マスタープラン
活動期間:1982年〜
風見しんごさんは、1982年に欽ちゃんファミリーの一員としてデビューを飾りました。
デビューから現在まで、レギュラー番組が途切れたことがないという逸話の持ち主でもあります。
風見しんごさんは、幅広い芸能活動をしています。
歌手、俳優、ダンサー、タレントと、かなりマルチな才能を発揮している、まさに芸能人。
1983年の歌手デビュー後は、歌の振り付け中にブレイクダンスをいち早く取り入れ、歌の中の振り付けとしてのダンスではなく、「歌って踊る」ということを体系付けた人であるとも言われています。
若い頃は、そのルックスや切れのあるダンスと歌などで女性からの人気も高かったですが、年を取ってからも安定したトーク力や演技力などで安定した活躍を見せています。
風見しんごさんの家族構成
風見しんごさんには、ご家族がいらっしゃいます。「風見しんごさん」「奥さん」「娘さん二人」の4人家族でした。
風見しんごさんの嫁
芸名:荒井晶子(あらい しょうこ)
本名:大下尚子(おおした なおこ、旧姓荒井)
生年月日:1967年7月20日
元ミス日本。1990年に芸能界入りして短期間ですが女優として活躍。映画「釣りバカ日誌5」やドラマ「愛しの刑事」に主演しました。
1994年に風見しんごさんと結婚。
1996年には長女のえみるさん、2003年には次女のふみねさんが誕生しました。
しかし2007年1月17日、悲劇が風見しんごさんのご一家を襲います。
風見しんごさんの長女は交通事故で亡くなっています
2007年1月17日に、当時10歳だった長女のえみるさんが交通事故に遭い、亡くなりました。
通学中に青信号を渡っていた最中、2トントラックがきて、はねられ、病院に搬送されましたが、その後死亡が確認されました。
出典:http://livedoor.4.blogimg.jp/
タレント風見しんご(44)の長女で、東京・世田谷区立桜町小5年の大下えみるさん(10)が17日午前8時8分ごろ、同区中町4丁目の都立園芸高裏交差点で、右折しようとしたトラックにはねられた。えみるさんは病院に搬送されたが、頭がい底骨折で死亡した。えみるさんは通学途中で、青信号の横断歩道を渡っていた。
関係者によると、ダンサー志望だったえみるさんは自慢の娘で、子煩悩な風見はショックで泣き崩れているという。警視庁玉川署は、業務上過失傷害の現行犯で、トラックを運転していた埼玉県所沢市の会社員(22)を逮捕した。
トラックの運転手は、当時22歳の若者。加害者はその後の刑事裁判で禁固2年(求刑禁固3年)の判決を受けています。
【2007年6月9日】 読売新聞、サンケイスポーツ、デイリースポーツによると、東京都世田谷区の交差点で2007年1月17日に発生したタレントの風見しんご氏(44歳)の長女(享年10歳)をトラックではねて死亡させた事故で、業務上過失致死罪に問われていた元会社員の23歳の被告に対し、東京地方裁判所は6月6日、禁固2年(求刑禁固3年)の実刑判決を言い渡した。
判決理由について裁判官は、「歩行者として安全な箇所であるべき横断歩道で発生した事故で、わずかな注意を行えば避ける事はできた。10歳で短い人生を終えてしまった女の子の無念さと遺族の悲嘆は想像に難くない。女の子がこれから何年の人生があったと思うか。反省しているのは理解できるが、社会人としての責任を取る必要がある。」と語った。
喧嘩嫌いだったえみるさんのために、通夜や葬儀中は一切加害者については述べず、えみるさんへの思いに終始しています。
出典:http://livedoor.4.blogimg.jp/
2016年は、えみるさんが生きていれば、成人を迎える歳でした。同年4月に、「さくらのとんねる 二十歳のえみる」を発売しています。
2007年に交通事故で亡くなった長女・えみるさんが、生きていれば今年で20歳になることから出版を決意。風見は「えみるのことは毎日、毎日、思い出します。でも、えみるが私たち家族を強くしてくれた」と気丈に語った。ただ、次女のふみねさん(12)には「この春で中学生ですが、心配で近所のコンビニにも一人で外出させられない」と胸の内を明かした。
当時の心境を、風見しんごさんは以下のように語っています。
悲しみ。憎しみ。後悔。恐怖。事故後、風見さんは次々と襲って来る感情に混乱した。「時間は何も解決してくれなかった。
長女のえみるさんを亡くしたという悲しみから、一時期家族はバラバラになり、
崩壊寸前まで陥ったそうです。
しかし、その後は、また前を向いて歩いていこうと決意した風見しんごさん。
「妻も次女もみんな、強くなりました。(えみるさんが亡くなって)最初に2~3年は、どうしてもその姿を追い求めてしまった。そこから徐々に、ゆっくりとですけど、前を向いていけるようになりました」と話した。
長男の死産
また、えみるさんが亡くなって1年後に、奥さんが妊娠されたそうですが、
死産であったことを語っています。
「(妊娠時の検査で)ダウン症をお持ちですともいわれました」。発育途中で障害が出るのも覚悟する中、胎児は心肺停止と診断された。
当時を振り返った風見は「妻が『どうしても生みたい』というので自然分娩(ぶんべん)で陣痛誘発剤を使いました。産声を上げないのは分かっていたのですが」と遠くを見つめた。「こころ」と呼んでいた天国の息子に対し「えみるが亡くなってから、前を向くように家族の背中を押してくれたのは長男だと思っています」と感謝の言葉をささげた。
↓↓その後、長女を轢き殺した犯人が分かりました↓↓
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