他界してから数年…桜塚やっくんのブログが怖すぎる…あの高速道路の真相と原因は?

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「なぜ逃げなかったのか」という、愚問。

ある程度の年齢以上の誘拐、拉致監禁などの事件で必ず言われるのが、「なぜ被害者は助けを求めなかったのか、逃げようとしなかったのか」ということ。


北九州の監禁事件しかり、新潟の監禁事件しかり、最近では千葉大生による中学生誘拐監禁事件でも言われたことだ。

それらの多くは、被害者がある程度の年齢にあったこと、完全に拘束されたり、外出ができない状態ではなかったこと、外部との接触(ネットなど)が可能だったことがあったために、「じゃあ逃げれるじゃん!」という意見が出たのだ。


しかし、それはバカバカしいと言わざるを得ないし、想像力の欠如も甚だしいと言える。


新潟の事件は詳しくないため言及しないが、少なくともこの綾瀬の事件においては、被害者に対して加害少年たちは「父親は電車事故で死んだ」と言ったかと思えば、「嘘だよ、生きてるよ」と言い、安堵した被害者を見るやすぐさま「本当は死んだんだよ」などと混乱させ、精神を不安定にさせ追い込んでいる。


経験のない人にはわからないかもしれないが、このように人を惑わせ、精神的に追い込むことが「好き」な人間は割とたくさんいる。

簡単なところでいえば、男女関係でも「愛してる」と言ったかと思えば気のない素振りをしたり裏切り行為をして相手を混乱させるのが好きな人もそうだ。

何が嘘で、何が真実かわからなくなることほど、人間の精神を破壊することはないのではないだろうか。ましてや、そこに暴力や性的な暴力行為が含まれていればなおさらだ。

 

実際、家族に電話させ、「探さないで」などと心にもないことを言わされているわけで、「もしかしたら家族は自分を探すのをやめたのでは?」といった不安も抱えていただろう。

実際に、その電話の後被害者少女の家族は捜索願を取り下げてしまっていた

 

何度も殴られ、人間の所業とは到底思えない残虐な行為の限りを受け入れる以外になかった被害者に、自力で逃げられたはず、助けを求められたはず、と言えるのだろうか。


被害者少女の姿は、近隣住民にこそ見られていないが、同居の両親とは食事を共にする機会もあった。

しかし、この両親が屁のツッパリにもならないヌケサクであることは、それ以前に被害者少女は悟っていたと思われる。

鍵もかかっていない監禁部屋のドアを、ドアの前に建つことはあっても父親がそのドアを開けることはついぞなかった。

母親は「早く帰りなさい」と、さも少女が自発的にこの家にいるかのような言い方をした。

被害少女の住所と名前をきいた父親の胸ぐらをつかんだ少年に対し、どうすることもできない父親の姿を見て、助けを求めても、バレたらきっとこの親とまとめてリンチされるのが関の山。

そんなふうにしか思えなかったとしても不思議ではない。

また、加害少年の一人によって、コンビニに車で連れ出されたこともあった。

その時、別の少年に目撃されているが、その少年によれば「うすぎたない女」であった(出典元 藤井誠二 著「少年の街」)ようで、たとえ他人(コンビニの店員)に助けを求めても、異常事態だと認識されるには少女の18歳という年齢では難しかったとも言えるだろう。その街では、そんな少女は少なくなかったからだ。

 

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