【こんなことが…】あまり知られていない韓国最大の遊郭の秘密…世界遺産・軍艦島に朝鮮人専用の遊廓があった!?

裏話, 話題

 

 

 

「親父が炭鉱マンで筑豊から移住したんですが、
生活レベルが全然違いました。

当時はまだテレビはあまり普及してなかったんですが、
この島には殆どの家にテレビも洗濯機も冷蔵庫もあった

うちでもすぐに揃いました。

仕事はキツくても給料は筑豊よりだいぶ良かったと思います。」

住んでいたのは軍艦島最大規模の65号棟の高層アパート。
6畳と4畳半に一家5人暮らしだったが、

「当時の平均的な社宅はそんなものでしょう」

と坂本氏は懐かしむ。

商店街やパチンコホールなどの娯楽施設も充実していた。
さらに、1957年に売春防止法が施工されるまでは遊郭もあった

「父親の話によれば、3軒の遊郭があり、
そのうち1軒は朝鮮人専用だったそうです。」

軍艦島に10年以上通い、
元島民たちの話から遊郭の存在を確認したのが、
軍艦島入門を刊行した黒澤永紀氏。

「遊郭と言っても兵で囲われた郭状のものではなく
単体の店、つまり遊女屋ですが、
元島民たちはみんな遊郭と呼んでいました。

大正時代、すでに島には遊郭が7軒あり、
女性は20人位いたとのことです。

1軒3人位の計算ですね。」

昭和になってからは島の南にある
南部商店街と呼ばれる地域に3軒の遊郭があった。

1933年の長崎新聞に遊郭「本田」の記事が取り上げられている。

「炭粉にまみれた鉱夫たちの荒くれた心身を愛撫してくれる。

これもまた端島の持つ一断面である」

と。この遊郭の「本田」と「森本」が日本人用の遊郭、
そして、「吉田」が朝鮮人専用でした。

「吉田」は遊女も朝鮮人。

朝鮮人専用の遊郭を作った理由は言葉の問題もあったろうし、
なにより朝鮮人労働者が多かったということでしょう。

いずれにしても、
朝鮮人の日本人と同じように遊郭で遊べたのです。

海底炭鉱での労働は命がけ

そのため労働者は労務が終わると酒を飲み、
「性のはけ口」を求めて遊郭通いをしていたのだろう。

 

 

 

みんなはどう思ってる!?

次のページへ続く↓↓↓