【閲覧注意】ガチでヤバイ未解決事件集(※動画あり)「覚悟して見ないと眠れなくなるぞ!」
・「暗殺」と言われるが、研究室などではなく
わざわざ人目につきやすいエレベーターホールで殺されている
・事件の数日前、助教授自身が「階段で殺される」と予言めいたメモを書き残している
・実行犯が海外に逃げた場合、時効はストップするはずで、
死刑宣告どおりイスラム教の暗殺者に殺されたなら
犯人は外国人であり海外へ逃げた可能性が高いはずなのに、
警察はあっさり時効を認め証拠品も全部遺族に返してしまっている
悪魔の詩訳者殺人事件
1991年7月11日、筑波大学助教授の五十嵐一が大学のエレベーターホールで刺殺され、翌日7月12日に発見された。現場からO型の血痕(被害者の血液型ではないため、犯人の血液型とされた)や犯人が残したとみられる中国製カンフーシューズの足跡(サイズ27.5cm)が見つかった。
五十嵐助教授は1990年にサルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』を日本語に翻訳している。1989年2月にイランの最高指導者のアーヤトッラー・ホメイニーは反イスラーム的を理由に「悪魔の詩」の発行に関わった者などに対する死刑宣告を行っていたため、事件直後からイラン革命政府との関係が取り沙汰されていた。
WIKIより引用
この殺人事件について当時のイラン最高指導者ホメイニ師が
「すべてのイスラム教徒にとって最良の出来事である」みたいな発言をしていたからね
警察も手詰まりだったし、万一犯人が特定できて身柄引き渡しを要求しても
受け入れられることもないだろうから幕引きにしたんだと思う
大晦日の。
遺留品?いっぱいあるのに足取り一切つかめないっていう
犯人が現場でアイス食ってた形跡があるとか。不気味
世田谷一家殺害事件
世田谷一家殺害事件
21世紀を目前に控えた2000年12月30日午後11時ごろから翌31日の未明にかけて、東京都世田谷区上祖師谷3丁目の会社員宅で、父親(当時44歳)・母親(当時41歳)・長女(当時8歳)・長男(当時6歳)の4人が惨殺された。隣に住む母親の実母が31日の午前10時55分ごろ発見、事件が発覚した。
この事件は、20世紀最後の日に発覚した、大晦日に差し掛かろうとする年の瀬の犯行だったことや、犯人の指紋や血痕など個人を特定可能なもの、靴の跡(足跡)の他、数多くの遺留品を残している点、子どももめった刺しにする残忍な犯行、殺害後に翌朝まで10時間以上に渡って現場に留まり、パソコンを触ったりアイスクリームを食べるなど犯人の異常な行動、これらの多くの事柄が明らかになっていながら、犯人の特定に至っていないことでも注目される未解決事件である。
また、年の瀬に発生した殺人事件という時期柄もあって、一年を振り返る区切りとなる年末近くになると、マスコミが話題に取り上げることが多い事件である。
WIKIより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95
長岡京殺人事件(京都長岡ワラビ採り殺人事件)
1979年5月23日、長岡京市内にあるスーパーでパートをしていた主婦二人が、仕事終了後、近くの山の竹林にワラビ採りに行ったまま消息不明となり、2日後の25日、山頂付近で遺体となって発見された。
直接の死因は主婦A(当時43歳)が絞殺、主婦B(当時32歳)が刺殺。二人のリュックには、それぞれ空の弁当箱、採ったワラビ、財布が入ったままであった。検死の結果、死亡時刻はどちらも正午過ぎから二時半までと判明。
どちらも金を奪われた形跡はなかったが、主婦Aの衣服のポケットから
“ オワレている たすけて下さい この男の人わるい人 ”
と鉛筆で走り書きをした、勤務先のスーパーのレシート(日付は事件当日より2日前)が発見される。だが、どちらの荷物にも衣服のポケットにも、この鉛筆がなかった。後日の捜索で、殺害現場から少し離れたところで芯の先端だけが見つかっているが、鉛筆そのものは見つからなかった。
WIKIより引用
なにこれこわい