【やば過ぎてビビる…】あの麻原彰晃がアジトで発見された時の様子。(画像複数)

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1996年当時の麻原の様子

週刊文春1996年4月25日号に、拘置所での麻原の姿が掲載された。
車椅子に乗せられ、移動している麻原の姿が撮っている。

タイトルは「拘置所の麻原被告はまるでエレファントマンだった」。

父が東京拘置所に移管された直後の1996年4月初めから父は東京拘置所が提供する食事を一切とらなくなりました。

代わりに、薬を混ぜ込めないような食べ物の差し入れ依頼が家族に来るようになりました。

わめく、取り乱す、駄々をこねる。オウム真理教の「教祖」の様子がおかしい。公判を長引かせるための戦略というのは、あまりに支離滅裂なのだ。
(中略)
「女子コンクリート詰め殺人事件」など、いくつもの大きな裁判で、被告人の精神鑑定を担当してきた福島章・上智大学教授(精神医学)の見方は、こうだ。「典型的な拘禁反応だと思います。(後略)」

出典『AERA』1996年11月26日

 

昨年秋のことでした。まるで真っ今日状態で、『ワーッ!』『ギャーッ!』と奇声をあげたかと思えば、職員に猛烈に毒づくんです。

出典『週刊現代』1997年2月15日号

 

不規則発言を繰り返し、これまでに2回の公判で退廷を命じられたオウム真理教前代表・松本智津夫被告(41)が、11月22日の前回後半以降、弁護人との面会を一切断っている

出典朝日新聞1996年12月5日

 

1997年当時の麻原の様子

 

他の証人が証言している最中に英語でつぶやいたり、突然大声を発することもあった

出典『 「教祖の法廷」全記録(2)』

 

麻原はまたも大声を挙げて「真実は麻原彰晃が知っている」「裁判長、私は認否をしたいのです。認否をさせてください」「裁判長は拉致されたのか」「裁判長を出せ」等など喚きたてる。裁判長は「言うことを聞かないですからね。退廷させなさい」

岡崎一明証人尋問において、4回目の退廷命令を受ける。

四六時中、座り込んで体を揺らしながら、『ウー、ウー、ウー』と意味不明な言葉を唸っていましたよ。

出典『週刊現代』1997年2月15日号

 

まとめると「麻原の世界」は次のようになっているようである。(中略)
●第三次世界大戦はすでに勃発しており、日本の領土はなくなってしまっているらしい。これは物理的に消滅している(水没など)可能性もある。
●麻原はエンタープライズのような原子力空母の上で、「どういう理由で自分は無罪判決となったか」を、全世界の人々に演説していた。そのため、英語と日本語の双方で語らなければならない、と思っている。(中略)
●日本がなくなっているため、裁判にも陪審制が取り入れられているらしく、花園陽一特別陪審員が麻原無罪判決への決め手となった(もちろん、こんな人物は存在しない)。

麻原の意見陳述をしたときの様子

 

2000年当時の麻原の様子

 

宣誓手続きの中で「今の名前はない。ブラックホールを背負っている」などと意味不明の言葉を繰り返し「私がここで宣誓する理由はない」と宣誓を拒否、退廷させられた。

出典東京新聞2000年4月28日

 

当時の新實被告の法廷に証人として出廷したが、退廷させられた。

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