入学試験の難易度全国ナンバー1の灘高、日本で一番勉強ができた子達の「その後」・・・

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この「均質性」が、灘高を語る上での一つのキーワードになる。それについては、後で詳述する。

関西の進学塾で鍛えられた”神童”たちが集結するなかで、数名、毛色の違う少年たちがいる。北は北海道、南は沖縄からはるばるやってくる新入生だ。彼らは学校近くの民家で下宿生活を送る。静岡県の焼津市から、麻布中(東京)を蹴って中に”遠距離入学”したMさんが振り返る。

「小5から毎週末、東京の(進学塾の)四谷大塚に新幹線で通い、平日は週2回、静岡市から家庭教師に来てもらってました。麻布より、を決めたのは母親。『灘は日本一の学校』という印象があったようです」

実は灘中に入り、Mさんは大きな驚きと失望を覚えることになる。

「なんで地元民ばっかりなんだ、話が違う!と思いました。全国から最高の秀才が集まる学校をイメージしてたから。その上、標準語を喋ると『お前、訛(なま)っとんな~』とか言われて。『いやいや、訛ってるのはキミたちだから』と思ってた」

ここも重要ポイントである。灘は、しょせん”ローカルな学校”なのだ。

それはそうだろう。生徒のほとんどは電車で通える範囲に住んでいる。関西だから国会議員も中央官僚もいないし、大企業の本社や国際機関の本部も少ない。ハッキリ言って、父親の職業は東京の名門校に比べると見劣りする。ちなみに私の父も市役所勤務だった。

灘中では2年弱で中学校の課程を終え、中3から高校の教科書を使う。なんといっても、数学のレベルが高い。高1時に数学オリンピック日本大会で入賞した、郡山幸雄(35歳)が語る。

「小1から兄貴のマネをして公文に通い始めた。ゲーム感覚で問題を解くのが楽しくて、小4くらいで方程式とか因数分解をやってたと思う。灘中入試の算数も満点に近かった」

郡山は現在、カルロス・ゴーンも出たフランスの理工系大学のトップ、エコール・ポリテクニークで経済学部の助教を務めている。

灘の数学の名物は、教室の前と後ろにある黒板で、生徒が与えられた問題を解く「演習」の時間だ。黒板の前に立つ時、郡山はいつもこう考えていた。

「模範解答である必要はないし、最短距離である必要もない。僕は、解き方のなかに『物語』を込めたいんです。読んで面白い小説とそうでない小説があるように、解き方にも『面白い』と思わせるものがある。自分がどんな考えの道筋を辿ったかを、皆に示すのが喜びでした」

私が鮮烈に覚えている光景がある。郡山が書いた解答を数学の教師がじっと見つめる。そして、一呼吸置いて、こう叫ぶのだ。

「美しい!」

教室から「おお―!」というどよめきが起こる。ある種宗教的な、お約束の行事だった。当時はそれが当たり前だと思っていた。しかし、「下流志向」が問題視されている公立の学校では、ありえない光景だろう。

勉強(特に数学)ができる生徒のことを、皆が素直にリスペクトする。これもまた「思春期の常識」からはズレているかもしれないが、けっして悪いことではないと思う。郡山は、「の先生は数学の技術というよりは、『数学を楽しもうとする姿勢』を教えてくれた」と語る。

何せ、女に慣れてない

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とはいえ、郡山のような校生は実は多数派ではない。高校受験がないこともあるが、灘校生のほとんどは、高3になるまでテスト前以外は勉強をしない。では何をするか。部活と趣味と、女である。

受験業界では知られた話だが、灘校生は「ガリ勉」ではない。また、「ガリ勉と思われたくない」と強く思っている。そして、校則も制服もなく、校風はいたって自由である。先生も生徒の自主性を大切にし、生活指導に血道をあげるような人はいない。

学年の半分が運動部に入部し、残りはアニメやアイドル、鉄道やアマチュア無線、そして麻雀や囲碁将棋といった趣味に没入する。ごくわずか、1割程度が男女交際にいそしむ。

ふだんは目立たない「オタク」たちの晴れ舞台が、年に一度発行される「灘校生徒会誌」だ。「アイドルランキングベスト500」などというタイトルで、異常な思い入れを込めて健筆をふるう。運動部系の生徒は「こいつらほんまキモいなあ」と言いながらも、実はちょっと楽しんで読んでいる。

そういえば、株式投資にのめり込んでいる同級生もいた。授業中、ラジオでこっそり株価情報を仕入れ、チャイムが鳴った瞬間に公衆電話にダッシュして、株取引をしていた。とにかく、銘々が好きなことをしているのだ。

これは自信を持って言えるが、灘にはイジメがほとんどない。少なくとも私の学年にはなかった。運動部員もオタクも遊び人も、それぞれ気の合う仲間と過ごし、クラスの「中心」となる生徒もいない。

それ自体は悪いことではないが、この気質が、後で述べる「リーダー意識、マネジメント能力の欠如」につながるのかもしれない。

先ほど、男女交際するのは1割と書いた。これは一般的な同世代と比べて圧倒的に少ないだろう。ある卒業生が、こんな回想をする。

「高3の時、同級生から深刻な顔で『女ってどんなプレゼントを喜ぶんかな』と相談された。相手はどんな人、と聞くと『三宮(神戸の繁華街)のクリスタルマジックの娘(コ)』と答えた。それ、ヘルス嬢やん!」

何せ、女には慣れていない。自慢じゃないが、私自身も中高6年間で母親以外の女性と喋ったのは片手で数えるほどだ。そのため同級生たちの間には、

「予備校で女のコに話しかける時、緊張しすぎてちょっとチビッた」
「保健室の50過ぎのオバサンを好きになった」
「店頭にある内田有紀の等身大立て看板を盗み、股間の部分をくりぬいた」

など、哀しいエピソードが山ほどある。中には、

「オナニーを数週間ガマンして満員電車に乗り、女性の尻に股間を密着させ、パンツの中で射精した」という犯罪スレスレの剛の者(?)もいた。

卒業生の4分の1が医者

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そうして楽しく学生生活を過ごす灘高生も、高3の夏が近づくと、いよいよ受験モードに突入する。さすがというか、高2まで模試の合格予想でE判定(合格率20%以下)だった生徒たちもみるみる成績を伸ばし、東大や京大、国立大医学部に入っていく。ある種、壮観とも言える光景だった。

落ちた生徒も、ほとんどは一浪で志望校に合格するが、そうでない生徒がごくわずか、学年に数人存在する。普段マスコミでは語られない、そんな生徒に光を当ててみよう。

「みんな行くし、普通にしてれば東大に行けるって思ってました」

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