岡田有希子の自さつ原因に新真相が判明!ファン後追いが300人越えしたアイドルの謎のタヒ

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岡田有希子さんの自殺前後の時系列について、まとめています。
 
まず岡田有希子さんは、デビュー以降、サンミュージック社長だった相澤秀禎宅に下宿していましたが、1986年4月4日に東京都青山で一人暮らしを始めました。また4月5日から始まった全国コンサート中で、4月10日からはテレビ朝日のドラマ収録を控えていたと言います。
まさに忙しいアイドルならではのスケジュールをこなしていたようですね。
 
 

自殺前日は映画「ロッキー4」を試写会で鑑賞。

渋谷パンテオンで報道陣によって、その姿がカメラに収められています。終わった後は、マネージャーやアイドル仲間たちと電話をしています。いろいろと証言が異なりますが「元気そうだった」、はたまた「落ち込んでいるようだった」とも言われています。

 

なお最後に彼女と電話したのは同じくアイドルだった生田智子さんとのこと。

 

1986年4月8日(自殺当日)
・午前10時頃 自宅マンションにてリストカット・ガス自殺未遂
→近隣住民の通報で、未遂に終わる。
・北青山病院にて手当を受け、そのまま事務所の人間とともに現場となったビルへ。
・正午0時20分頃 事務所ビルに着き、周囲の隙をつき屋上へ駆け上がり投身自殺。
 
投身自殺直後には記者(梨元勝リポーター)が現場に駆けつけていて、当時の緊迫した様子が動画で残されています。※動画の閲覧にはご注意ください。
 
 
上記動画内では、当時自宅での自殺未遂した岡田有希子さんに付き添っていたサンミュージック福田時雄元専務が、インタビューに答えています。要約すると以下のような内容です。
 
自殺直前の詳細状況:午前10時頃に自宅マンションで自殺未遂を図って北青山病院で治療を受けたが、大きな怪我ではなかったためそのまま事務所へ移動。事務所到着時に、岡田有希子さん・福田専務・付き人の女性の3人で部屋にいたが、12時15分頃に社長からの電話を受けた福田専務が席を外し、その隙をついて屋上へ向かったと説明。
 
自殺原因を問われた際の回答:「わからない」としながら「躁鬱の激しい子ではあった」と答えています。

 

なお後日、福田専務は岡田有希子さんの1回目の自殺未遂後に事務所にいった経緯を、彼女の希望であったと語っています。

 

幸いためらい傷だけだったので、医者に入院の必要はないと告げられ、私は有希子を連れてタクシーに乗りました。『どこに行きたい? 名古屋の実家へ戻るか? 自宅マンションへ帰るか? 事務所に行く?』と尋ねると、事務所がいいと言うので、四谷へ向かったのです

引用:「愛情をください」と訴えた岡田有希子 死の直前、シクシク泣いて「事務所へ行きたい」

 

 

岡田有希子さんの遺書内容

亡くなった岡田有希子さんの自宅には、遺書と思われる鉛筆書きのノートがありました。彼女の遺書には「失恋したこと」や「失恋相手の名前」等が記されていたと言われています。

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