【閲覧注意】皆さん覚えていますか?生首と対話…元少年A・酒鬼薔薇聖斗の現在。結婚して子供も?もしかしたらあなたの隣に…
事件後の流れ
1997年(平成9年)10月13日
神戸家庭裁判所は少年を医療少年院送致が相当と判断、関東医療少年院に移される。
1999年(平成11年)
第二の事件で死亡した女児の遺族と少年側で約8,000万円の慰謝料を支払うことで示談成立。
2001年(平成13年)11月27日
治療が順調であるとの判断から、東北中等少年院に移る。
東北中等少年院に移送された後に、院生からいじめを受け、さらに院生の一人がたまたま教官の持っていた書類を盗み見たところ、少年が偽名であることが発覚。「お前、まさかあの酒鬼薔薇なのか」と問いかけると、少年がニヤッと笑って頷いたという噂がひろまり、少年の正体が一部の収容者にばれたという。その後、いじめが過激になり、2002年初夏に突然、半裸状態で意味不明の奇声を発し、職業訓練で使うカッターナイフを振り回し、周りを威嚇し始めたという。教官らが駆けつけ、ほかの院生を連れ出し、少年を取り囲んで説得を始めたが、カッターナイフで自分の性器を切り付けたという。少年は直ちに個室に軟禁されて、事情聴取を受けたが、なかなか興奮が冷めず危険なうえ、動揺が激しく、何を言っているのか分からなかったため、最終的に「奇行」と断定された。
2004年(平成16年)3月10日
成人した少年は少年院を仮退院。この情報は法務省を通じ、被害者の家族に連絡された。
2005年(平成17年)1月1日
少年の本退院が認可される。
2007年(平成19年)3月
第二の事件で死亡した女児へ、医療少年院退院後、初めて謝罪の手紙が届けられた。しかし遺族は「必死に生きようとする姿が見えてこない」と賠償についても疑問を投げかけた。現在遺族への慰謝料は、少年の両親が出版した本の印税の他、1ヶ月に少年から4,000円と両親から8,000円支払われていると報道された。
酒鬼薔薇聖斗という人物
事件は、兵庫県神戸市須磨区にて発生。
犯人は当時14歳
他の生徒の靴を隠して燃やす、ラケットで何もしていない生徒の頭を叩く、カッターナイフで他の生徒の自転車のタイヤを切るといった行為があったといわれ、少年が在籍していた小学校からは「刃物を一杯突き刺した不気味な粘土細工を制作していた」
担任の話によると、少年の表情は総じて動きに乏しく、注意しても教員の顔を直視することがなく、心が別のところにあり、意識がずれ、言葉が届かない感じを受けたという
彼が書いた絵は一般人には到底理解できないもの
書籍化
酒鬼薔薇聖斗事件は、多くの著者・出版社によって書籍化されている。
加害者の父と母の手記
加害者の人格を検証する内容となっている。
出所後の人生
出所後は、法務省OBの人間を中心におよそ10人の支援チームが結成され、彼の生活を支えてきました。
現在でもサポート役がそばにおり、被害者の命日には毎年手紙を送っていますが、直接対面しての謝罪は、いまだ果たせていません
2015年6月11日 酒鬼薔薇聖斗の手記『絶歌』 が出版される
酒鬼薔薇聖斗本人の手記ということもあり、驚異的なペースで売り上げを伸ばしている。
事件の遺族の方や一部の著名人を中心に、出版を取りやめるべきだと出版社に猛抗議している。
情報会社オリコンの週間ランキングでも総合部門1位となった。オリコンの集 計では推定売り上げ部数は約6万7000部。
品切れの書店やオンラインサイトも続出 しており、初版10万部に続いて5万部が増刷され、25日から順次配本される。
2015年9月 自身の公式ホームページを公開
元少年A/プロフィール 1982年 神戸市生まれ。 1997年 神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)を起こし、医療少年院に収容される。
2004年 6年5ヶ月の収容生活を終え社会復帰。 身長165.6cm 体重54.3kg 視力 右0.03 左0.05 血液型 A型 大動脈心臓部に雑音あり 性格類型 INFJ型(興味がある方はこちらどうぞ→http://www.seikakushindan.in…
2015年10月 有料ブロマガを配信開始するものの・・・
読者と「魂の触角と触角が絡み合うようなやり取り」をしたい
彼が有料ブロマガを配信するに至った理由らしい…
ブロマガは月額800円であり、彼の年収は1億円を超えるとの試算も出ていた。
社会に与えた影響が考慮されたのか、規約違反を理由に運営側がアカウントを凍結へ
元少年A・酒鬼薔薇聖斗の現在、続きはコチラ↓↓
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