他界してから数年…桜塚やっくんのブログが怖すぎる…あの高速道路の真相と原因は?

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あるブログでの掲載記事では、、、

昭和63年、11月25日。

この事件は、昭和から平成へ変わる数か月の間に起こった事件で、当時中学1年生だった私は報道などで概要を知り、あまりのことに強烈に印象に残っている。


また、当時はヤンキー雑誌として有名だった「ポップティーン」に、被害者の顔写真入り記事が掲載されており、愛読していた私はその被害者の女子高生のアイドル並みの可愛らしさにも驚いた。

綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件

事件の概要は、あまりに有名であるので改めて文字にする必要はないだろう。本来は、40日間に及ぶ暴行、レイプでの殺害であるから、この呼び名はおかしいんだけれども、コンクリート殺人と言えばこの事件といえるほどのインパクトがあるため、こちらでもそのように記載しています。


概要はWikipediaに判決文のリンクがあるのでそちらを参考にされたい。

 

監禁の現場

 

現場は東京都足立区綾瀬。細かい住所は大島てるに載っている。家の前の路地まではGoogleカーが入っていけないため、ストリートビューで家の前まではいけないが、当時の報道映像と比較すると、区画整理なども行われておらず当時のままといったように見える。


当然、現場の家は建て替わっており、現在は関係のない方が住まわれているはずだが、何も知らずに住んでいるということはないだろう。


この事件さえなければ、なんてことない普通の一画。公園がすぐそばにあり、陽もよく当たる場所だ。隣の家とはひしめき合って建っているとはいえ、都会ならば普通だろう。

しかし、当時の報道でも言われていたが、近くにパチンコ店やカラオケスナックなどがあるような立地ではない。夜ともなれば静かだろうし、昼間でもそう多くの車が行きかう場所でもない。事件が発覚するまでの40日間、近隣ではなんの騒ぎにもならなかったのだろうか。

あらかじめ断るが、近隣の落ち度をあげつらっているわけではない。近隣住民がこの家の騒ぎをいわばスルーせざるを得なかった理由があったと考えている。


実際に、事件発覚当時の報道での近隣の方の証言によれば、多くの人が「あの家は」というような言い方をしていて、普段から敬遠されていたように思える。


ステレオを大音量でかけるなどの異常行為は日常茶飯事で、かつ、不特定多数の若者の出入りがある。けれど、「あの家」にはちゃんと両親が住んでいるのだから。

 

騒音は昼間の1~2時間だったと、ある住民は言う。あまりのうるささに時計で測ったのだそうだ。その時以外は、悲鳴や大声等は聞こえなかったという。


今にして思えば、暴行を働いている間、ステレオをかけていたのかもとその住民は言った。子供も証言している。年末辺りに女性の「やめて」という悲鳴を複数回聞いていて、次第にそれは弱々しくなっていた、と。

 

出入りする若者たちも、なぜか玄関からは出入りせず、ちょうどベランダの前にある電柱をよじ登り、直接ベランダから2階の部屋へ出入りしていたという。

見かねた近隣住民の通報で、電柱の管理者が足をかけるステップを取り外した。道にたむろする少年たちを注意した人もいた。しかし、「この道路はお前だけのものか」などと中二病丸出しで返され、相手にするのをやめた。

 

事件当時の「あの家」の玄関先には、犬がいた。報道陣に目を向けることなく、玄関先でまるまっていた犬。

 

あの犬は、被害者を見ていたのだろうか。ふとそんなことを考えた。

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