平成の天皇陛下、実はギャンブラー!?趣味が麻雀。かなりお強い事実が判明
3. 障害者福祉を大きく前進
皇太子時代に名誉総裁を務められた1964年の東京五輪の後に行われたパラリンピック。「このような大会を、国内でも毎年行なってもらいたいと思います」と述べられた事がきっかけとなり、翌1965年から国体に合わせて身障者スポーツ大会が開催されるようになりました。
2015年10月には、太陽の家サンスポーツセンターのトレーニングルームをご視察になさった際「ちょっとやりましょうか」と仰ると、スーツのままラケットを持つと、パラリンピック目指している宿野部拓海選手と卓球でラリーをご披露して、周囲を驚かせるというお茶目な一面も。
昭和35年、殿下に初のお子さま、浩宮さまが誕生。その後の会見で殿下は「親子三人、川の字になって寝るような家庭をつくりたい」と話され、皇室の慣例になかった「親子同居」を決意された。
「親子3人が川の字になって寝るような家庭をつくりたい」と話され、皇室の慣例になかった親子同居に踏み切りました。そして平安時代から続いた乳人制度を廃止。それまでの宮中のしきたりでは、親子別居が当然だったのです。そして子育ての様子を公開されます。「開かれた皇室」として、その存在が一気に身近なものとなりました。
また、天皇家の長女・紀宮さまと東京都職員黒田慶樹さんの結婚式と披露宴にも天皇陛下、皇后両陛下はじめ皇太子ご夫妻、秋篠宮ご一家らと揃って出席されました。天皇陛下が民間の結婚式と披露宴に出席するのも異例な事でした。
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