なぜフランス人が一人で食事をしない理由知ってますか??
しあわせやよろこびを他人と分かち合うことを、フランスでは「partagé(パルタージュ)」という言葉を用いて表現します。口にしてみると、口角がキュッと上がり、にっこり笑顔になる。響きもすてきなこの言葉の意味をかみしめる瞬間は、とくに食事の場であると断言する女性がいます。
ニューヨーク州生まれのイタリア系アメリカ人Elaine Sciolino、彼女はニューヨークタイムズ誌の元パリ支局長。2002年より生活の拠点をパリに移した彼女が、肌で感じたフランス人の食文化を「FOOD52」に発表しました。おいしく香りたつ彼女のコラムをどうぞ召しあがれ。
フランス人の“ぼっち飯”はひとりじゃない
フランス人はひとりでの食事をあまり好みません。なぜって、食事の時間はひとりでいるのがもったいないくらい楽しい時間だからです。たとえ、あなたがひとりでビストロに入ってディナーをしたとしても、重苦しい沈黙はそこになく、ウェイターやソムリエとの会話が始まるでしょう。フランス人にとって、食事は他の人と“パルタージュ”されるべきもの、という感覚があるからです。
言葉の意味を当てはめれば「分かち合うこと」。なかなか理解しづらいコンセプトでもあるこのワードは、私のお気に入りのフランス語のひとつ。欧州各国もアメリカも不安定な政治状態が続く昨今、パルタージュはかつてないほど重要な意味を持つようになっている、と私は感じています。
幼少期に芽生えた食のよろこび
実をいえば、私はこのコンセプトを幼い頃に学んでいました。わが家の地下室にあるキッチンで、私はシチリア人である祖父から、ナスを酢漬けにする方法や、トライプ(牛や羊など家畜の胃袋)をトマトで煮込む方法や、子羊の頭をレモンとローズマリーでグリルする方法を教わりました。内緒ですが、祖父は5歳の私にワインも教えてくれていたのです。それも祖父が毎年夏に裏庭でつくったぶどうで、セラーの仕事道具の隣にある、2つのオーク樽に貯蔵した自家製ワインを。
いっぽう父はナイアガラの滝の近くにイタリア系の食品雑貨店を構えていて、生粋のイタリア人以外の地元の人たちがパスタを「マカロニ」と呼んでいた時代から、手回し式のパスタ製造機でつくる生打ち麺や、プロヴォローネ、プロシュット、自家製のソーセージなどを販売していました。
父はシチリアなまりの英語でお客さんとコミュニケーションを取りながら、食材と会話を通して、小さなよろこびを届ける方法を私にも教えてくれていたように思います。冬の寒さや雪の量、経済状況がどんなに深刻であろうとも、おいしい家庭料理さえあれば誰もが安らぎを見出せる。それが父の信念でした。たとえそれがベーコン、玉ねぎ、白インゲン豆入りのペンネほどシンプルな料理であっても。そして、父はよくこう言っていたのを覚えています。「どんな人間だって、まずは食べることからさ!」。
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